恋愛という感覚
2022/5/31
私たちは、恋愛に賞味期限があることは知っている。恋愛はいつか終わることを知っている。恋愛の賞味期限を「 契約 」という名の神との約束に変換したものが「 結婚 」である。
② 私たちは、恋愛の先に結婚があることから、恋愛と結婚を同一視しているに過ぎない。
恋愛結婚は、最近の価値観でしかない。昔は、親が決めた相手と結婚していた。
「 好きになって、結婚する 」のが、最近の価値観で、「 結婚して、好きになるかならないかはわからない 」のが、昔の価値観だ。昔の価値観で捉えると、恋愛と結婚が全く異なることがよくわかる。
結婚とは生活なのだから、恋愛感情を必要としないのだ。
恋愛は「 トキメキ・ドキドキ・ワクワク 」であり、結婚は「 安定・日常・平穏 」である。私たちは「 トキメキ・ドキドキ・ワクワク 」に慣れていくことによって、その感覚が薄れていくことを体験として知っているし、私たちは、そういうふうに、設計されている。
恋愛は感覚なのだ。
恋愛は「 ジェットコースター 」で、結婚は「 メリゴーランド 」である。この先にどうなるのかわからないワクワクした世界なのか、同じところを回って、一周したら、いつも同じところに、家族がいる世界なのか。
恋愛を短距離走とするならば、結婚は、マラソンとなろう。
結婚は終わりが見えないくらいに、長い。恋愛は終わりがあるから儚く、美しい。その最中には、終わりの存在を見て見ぬふりをしているだけだ。死の存在のように。
私たちは、実は、友人関係にも、賞味期限があることを知らない。昔は仲良くて遊んでいたのに、疎遠になっていった友人の1人や2人はいるだろう。恋愛のように、明確な終わりがないから、気付いていないだけだ。
- 「 すべての男は消耗品である 」と言った人がいた。
- 「 女も消耗品だし、すべての人間関係は、賞味期限がある 」と、私はおもう。
今が大事なのだ。
この瞬間瞬間に、私たちは消耗しているし、賞味期限に近付いているのだ。
だから、今に集中して、今を楽しむ。
その最たる例が、恋愛だ。
恋愛は終わりがあるから儚く、美しいように、人間も死ぬから美しい。終わりのない人生よりも、終わりのある人生の方が、儚い。
終わりがあるから、人は走ることができる。終わりのないマラソンなど、誰が走るのだろうか?私たちは、毎日、走っている。死というゴールに向かって、その途中で、歩いたり、時には、止まったり、後ろを振り返ったり、逆走してみたり、違うコースを走ってみたり、走り方は、人それぞれだ。
社会は、走り方のお手本を、示すけれど、お手本の通りに走る人生に、痛みは少ない、痛みを知った悲劇の分だけ、人は幸福という喜劇を堪能できる。
- 負けないヒーローなんて、見ていて楽しのか?
- 負けないゲームは、やりがいがあるのか?
うまくいくこともあるし、うまくいかないこともある。うまくいかないことがあるから、うまくいったときの喜びが倍増する。
うまくいかないかもしれないけど、リスクをとって、挑戦するのだ。人生の縮小版が、恋愛とも言える。
恋愛から何が生まれのか?
別に、何も生まれない。
恋愛は、今という瞬間を味わう感覚だからだ。

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