幸福の不在
2022/4/20
幸福と不幸の非対称性
・幸福の不在を、幸福でないことを不幸と言っているのか?
・不幸の不在を、不幸ではないことを幸福と言っているのか?
・幸福の不在を、幸福でないことを不幸と言っているのか?
・不幸の不在を、不幸ではないことを幸福と言っているのか?
- 幸福でなければ、不幸とも言えない。
- 不幸でなければ、幸福とも言えない。
- 「 不幸になりたくない 」では、幸福になれないのだ。
- 「 幸福でありたい 」と願うことでしか、幸福は獲得し得ない存在である。
そして、幸福の形は、人それぞれによって形作られるものだ。万人に共通の幸福の形はない。だから、幸福は、定義しなければならない。自分なりの幸福を定義して「 幸福でありたい 」と願う。
幸福は、定義して、はじめて感じられる感覚である。そう感覚である。「 痛い 」とか「 気持ちいい 」とか「 ムカつく 」とかいった感覚の一種に過ぎない。
幸福とかいう大層なものが存在するわけではないのだ。お風呂に浸かって気持ちいいくらいの感覚で、幸福を感じればいいだけなのだ。
しかも、その定義は、自分次第なのだ。
いや、もう、幸福であれない方が難しい。
風呂に浸かって気持ちいいを幸福と定義するだけで、幸福であれるのだ。
お風呂に浸かることを定義付けられない?
お風呂なんて当たり前だ?
違うんだ。
発想が逆なんだ。
お風呂に浸かれない環境に身を置くことで、お風呂の大切さに気付くんだ。
例えば、海外に行ったらいい、それも、できるだけ長く、そうしたら、お風呂の貴重さが身に染みるのだ。
そう、今、ある幸福に気付くためには、幸福の不在が必要なのだ。
海外に行くことで、日本の素晴らしさを堪能できるのだ。
恋人と別れることで、恋人の大切さに気付くように。
幸福の不在によって、相対化されることで、幸福が浮き立つ。
幸福を追い求めているから、幸福を掴めない。
幸福の不在を演出することで、幸福が存在するのだ。
「 1日断食したら何を食べても美味しい 」ということだ。何も考えずに食べてるから、幸福を感じられないのだ。

【本要約】ただしい人類滅亡計画反出生主義をめぐる物語
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2022/4/18
「 使命を負っている 」「 定めがある 」「 道理である 」という考えは「 僕 ( しもべ ) である 」ということだ。
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