2021/6/15

岡本太郎 〜 自由なわけ
どんなに努力しても、辿り着けない世界がある。岡本太郎は、そんな世界の住人だ。自由の世界の住人だ。
芸術家と社会
芸術家は、自分の創りたい作品を創る。
それは、100%、自分のおもいだけであろうか?
人は1人で生きていけない。
社会の中で生きている。
社会の中で生きている以上、他人と関わらなければならない。
- 無人島に1人だとしても、インターネットがつながれば、インターネットを通した社会が存在する。
- 無人島に1人で、インターネットが、つながらなければ、社会は存在しない、孤である。
バーチャルであれ、リアルであれ、人が存在するところ全てに、社会は存在する。
その社会を完全に無視して、生きていくことなど、不可能であろう。
芸術家と大衆
芸術家は、作品で自分を表現する。
その作品を評価するのは、他人である。
作品が、他人に評価されなければ、それは、ただのオナニーである。
自分の創りたいモノだけを作って、生きていく。
他人の評価など、全く関係ない。
本当に?
本当に?本当に?
オナニーだけじゃ無理だ。
セックスを求めるはずだ。
それは、誰かと関わることだ。
誰かと関わって、認めてもらうことだ。
認知と評価の両方が必要だ。
知ってもらわなきゃいけない。
知って、いいか?悪いか?評価してもらわなきゃいけない。
岡本太郎も、年齢を経るにつれ、晩年になるほど、大衆との迎合へとシフトしていったんじゃないか?
作品の良し悪しは、わからない。
でも、作品を通して、岡本太郎の人生に触れて、想像して、俯瞰することはできる。
おもいを言葉に文章にすることができる。
湯浅なりの岡本太郎の対極主義の解釈は
- 社会を批判するだけならば、それは、ただの大衆である。
- 社会を批判しながらも、その社会に認めさせるという対極が、岡本太郎の芸術である。
自分の創りたいモノを、創るだけではダメなのだ。
それを社会に認知させて、評価を得ることで、社会に浸透させていく。
- 自分の作品を
- 作品を通した自分の思考を
- 自分が社会に伝えたい欲求を
それが、モノを創るということ。
クリエイターでかつ、マーケターでなければならない。
岡本太郎という芸術家のクリエイターという一面しか見えていない。
岡本太郎の隠れた才能は、稀代のマーケターであるということだ。

「壁を破る言葉」岡本太郎
クリエィティブにくじけそうになった時、日本最高峰のクリエイターの言葉に触れる。
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