新しい価値観の獲得
2022/5/31
夫婦で一緒に働くことの是非
家庭の問題、例えば、喧嘩したとして、その問題は、仕事場に持ち込まれる。「 仕事は仕事として、割り切っている 」と言っても、私たちは、空気を操ることはできない。よどんだ空気は、伝播する。客との対面商売としては致命的であろう。
家庭の問題、例えば、喧嘩したとして、その問題は、仕事場に持ち込まれる。「 仕事は仕事として、割り切っている 」と言っても、私たちは、空気を操ることはできない。よどんだ空気は、伝播する。客との対面商売としては致命的であろう。
空間と時間を共有していくことは、同質性を生む結果となる。
異質な空間から、差異が生まれ、新たな価値観が構築される。
同じ空間でも、人によっては、見え方が違うって、切り取り方が違うとしても、異質な空間に勝るものはない。
そうか、異空間の存在、子どもという存在か。なるほど、見落としていた。家庭に帰ると、子どもという存在があるから、仕事は、家庭は、ある意味で、違う空間という定義になるのか。
自分とは異なる価値観に触れて、その価値観を思考し、言語化すると、自分が見落としていた事実に気付く。そうすると、自分と異なる価値観に見えていただけなのは、見る方向が異なるのだ。円柱を横から見たら、長方形で、上から見たら円だ。円柱を、横から見て360度回転させても長方形だ。上から見ないと、円にはならない。
私は「 上から見る 」という視点を獲得するために、日々を過ごしている。上から見たことがある人しか、上から見た状況を説明できない。横が「 世界のすべてだ 」と信じていたら、上から見ることなんてない。誰かに「 上から見たら 」と教えてもらわないと、上から見ることはない。
- 知らないことは、できない。
- 知らないと、できない。
あるとき、たまたま、気付くことはあるかもしれない。でも、気付かないかもしれないじゃないか。
・世界は言葉でできている。
・社会も言葉できている。
・人も言葉でできている。
・社会も言葉できている。
・人も言葉でできている。
すべてを解釈して、言語化したい。
わからないことを知って、自分の言葉で表現したい。
言葉で表現できない世界への扉まで。
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