「武器になる哲学」からの思考
2021/8/25
不確実性

人に当てはめると、不確実なものほどハマりやすいという性質がある。その性質は、様々な面に適用されている。
- ギャンブルは、確率を変動させながら報酬を与える仕組みである。
- ゲームのガチャも変動比率によって、レアキャラが出る仕組みである。
- SNSは、予測できない変動比率であり、ドーパミンという報酬 [ 👍 ❤️ ] を与える仕組みである。
→ SNSにハマるのは、予測不可能で、人の行動を強化する効果が高いからである。
俺にとっての不確実性
ギャンブルに、パチンコ、スロット、競馬、カジノに興味がない。パチンコにハマったことはない。
テレビゲームにも、スマホゲームにも、興味がない。
SNSは、自分の目的のために発信しているだけだ。
そう言えば、麻雀は、ハマった。
「麻雀は、そのゲーム性の高さにハマった」と思っていたが、実は、「配牌やツモの不確実性にハマっていたんだな」と気付く。
いやー、やっとわかった。
人は、不確実なモノにハマりやすい。
みんながハマっている、ギャンブルやゲームに興味がない。スポーツにも興味がない(スポーツをするのも観戦するのも、勝ち負けという不確実性の要素がある)。
「何が違うんだろう」と思ってた。やっと気付いた。湯浅がハマっている不確実なモノは、日常に存在せず、日常生活から分離されているから、同じ比較対象の土俵に乗ってなかった。湯浅がハマっている不確実なモノは、旅だった。
ギャンブルしたり、ゲームしたりするのと同じように、旅という不確実なモノにハマっているだけだった。ハマる対象のピントが、みんなと少し違っていた。ちょっとズレてただけで、湯浅も、人の本能に従っていた。
そうか、そうだったんだ。
湯浅の「旅して生きていきたい」は、誰かの「ゲームして生きていきたい」だった。
個別の事象にフォーカスしていくと、別々のモノだという視点になる。しかし、抽象度を上げて、俯瞰した視点で捉えることによって、同一視できようになった。
誰かがゲームしたいと思って、毎日ゲームしているように、俺の旅したいも、毎日溜まっていく。ある時、旅したいが、許容量を越える、旅したい衝動が溢れてきて止められなくなる。それが5年に1回くらいのペースで起こる。
旅が、人は不確実性にハマるということで、可視化された。
旅は、本能には、逆らえない。
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