2021/6/17
ADHD
僕らは知らないモノを認識できない。
iPhoneを知らないと、iPhoneがわからないし、iPhoneの便利さを知らないと、iPhoneを、欲しがれない。

自分が人と違うのは、知っていた。「自分は、変わっている」という自覚はあった。
- でも、社会で生きていけないほどは、変わっていなかったから、気付かなかった。
- だけど、それが、今では、「病気」と言われていることに、気付いた。
「へぇー病気なんだー」って、感じである。
40年も自分をやってきて、困ってこなかった。
「急に、あなた、病気ですよ」って言われても、「いや、別に困ってないので!」である。
困ってないから、治す必要はない。

短気で、自分の思い通りにいかないと、癇癪を起こす。
いつもではない。いつもなら、社会生活は送れていない。でも、振り返ると、衝動的な行動には納得しかない。今もそうだ。直ぐやらないと、忘れてしまう。他人が、直ぐやらないと、イライラする。
これまでも、問題なかったから、「今後も気にしないで、生きていこう」って思ってる。
ADHDと社会
昔から、集中している時に、話し掛けられても、認識はできるけど、反応はできない。
いつものことである。
「無視してる」と思われていたかもしれない。認識しているんだ、ただ、反応できないだけだ。そんなことも、繰り返されれば、周りが慣れる。反応できない自分を、周りは個性として認識する。ただ、それだけだ。
自分ができないこともあるかもしれないけど、そんなことは、気にしなくていい。人は柔軟だ。自分のできないことなんて、受け入れてくれる。
今だって、こうやって、文字に起こしてみて、気付いたのだ。
みんなが、反応できない自分を受け入れていたことに。
だから、困ってこなかった。他人に多少の負荷はかけたかもしれない。でも、逆に、過集中によって、クオリティの高いクリエイティブを発揮できるのだろう。
確証はないが、結果は事実である。誰よりもクリエイターだったから、周りの人に助けられ、周りに人が集まった。
過集中マシマシ
最近、過集中が酷い。
ひとつのことを考えていると、他のことは何も考えられなくなる。
考え事をしながらモノをおくと、モノをどこにやったかわからなくなる。鍵を掛けたり、ドアを閉めたり、大したことないことがうまくできない。
部屋のレイアウトは変わってない。でも、家の狭い一箇所で、体をぶつけるのだ。前は、ぶつけてなかったのに。身体のサイズを判断する機能まで、過集中に使われている。
これは、明らかに、認知機能が低下している。過集中によって、他のことができなくなってきている。
「何かをしよう」としていたのに、新しい何かを見つけると、前の何かを、忘れてしまう。年齢もあるだろうが。だから、直ぐやらないといけない。忘れる前に思い付いた瞬間にやらないといけない。
さすがに、不便ではある。しかし、過集中による思考能力は向上しているから、バランスは取れている。より尖る方向へ自分の才能が特化してきただけだ。
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