人工知能が代替できない人間の機能についての思考

2022/1/26
「 なんか見たことある 」といった景色の記憶、それは、コンピュータみたいな完璧な映像の記録ではない。景色の記憶は、もっと輪郭がボヤけていて、抽象化されている。「 雰囲気が似ている 」といった言葉が、適切かもしれない。雰囲気とは、人間の感覚的なモノである。
その人間的な感覚は、データ化が難しい。数値やパターンに落とし込むのが困難である。ということは、人工知能には、捉えられにくい。人工知能として、その中に組み込んで、制御することは難しい。
私たちは、木を見たときに「 木だ 」と認識できる。木は、至る所にある、気にしていないだけだ。私たちは、木を見ないで1日を過ごすことは、できない。それほどまでに、木がある。でも、私たちは、木を意識することはない。目に入っているけれど、それを情報として保持することはない。「 あそこに木があったな 」なんて、覚えている人はいない。
・私たちは木を見て「 木だ 」と認識できる。
・見たことがない変な木でも「 木だ 」と認識できる。
私たちは、木をひとつの物体としてではなく、木を幹があって枝があって緑の葉っぱが生えていてというような、概念で捉えている。木を単体の一つの物体としてではなく、集合体として概念で捉えている。
人工知能は「 たくさんの木を一本一本記憶する 」のは得意だ、正確に細かな部分まで木を記憶できる。しかし、木という概念を獲得するためには、膨大な木の映像が必要になる。膨大な木の映像からパターンを抽出して、木の概念を構築する。しかし、見たことのない新しい木は、木と認識できない。木の概念のフレームの中にないと、木と認識できない。
これは木に見えないけど、木の要素が少しあるから、多分、これは、新しいタイプの木かもしれないと、見たことないモノに対して、想像することができる。自分の未経験を、想像して補うことができる。自分の経験という箱の中身を認識するだけに留まらず、箱の外があることを認識できる。箱の外にも、世界の広がりがあることを認識でき、また、それが何かを想像できる術を持つ。
人工知能は、箱の中身しか認識できない。たった一人の世界にいる住人のようなモノだ。だから、一人の世界の住人には、自分以外の世界があることを認識できない。人は、自分以外の他者がいることによって、初めて、箱の中身以外の世界の可能性に気付く。
私たち人間は、たくさんの人に囲まれて生活している。私たちが初めて触れ合うのは人間だ。私たちは、自分以外の人間によって、この世に生み落とされる。この世界は、私だけではない「 他者が存在する 」ということが前提として、成長していく。だから、自分という箱の中だけに閉じない。
人工知能は、特定の機能に特化させた実用性を重視している、当然だ。ここは資本主義社会なのだから。特定の機能に特化させないと、使い物にならない。ジェネラリストよりも、スペシャリストの方が、ジグソーパズルのワンピースになり得る。
人工知能の進化は、特定の機能の追求ではなく、いろんな機能を持った複合体、その機能は、高性能である必要はなく、とにかく様々な機能を持った人工知能を作り出し、それをネットワークでつなぎ合わせていくことから、新しいイノベーションが起きるのかもしれない。
それは、人類が進化してきた過程のように、赤ちゃんが他人と交わりながら、経験することで知識を獲得していく過程のように。

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