AI神という世界
2021/12/3
映画
映画を観るときに、映画の情報を探す。そのとき得る情報は、映画のあらすじだけでない。映画の批評まで一緒に受け取る。既に映画を観た誰かの評価、他人のモノサシを参考にする。私たちは「他人がいい」というモノを「多くの人がいい」というモノを「観たい」という習性がある。私たちは、その習性を学校で身に付けた。
批評を確認してから観るのか
事前情報なしで観るのか
人それぞれだ。
映画は2時間もある、外したくはない。だから、事前情報を探してしまう。でも、何もない状態で、事前情報なしで観た方が、映画はおもしろい。内容がわからない方が、期待してない方が、無感情で、映画に没入できる。結果として当たり外れがあるだけだ。
本質的に、映画は実際に観てみないとわからない。他人が「おもしろい」と思っても、自分にはおもしろくないこともある。友人に勧められ観た映画がつまらなかったことが誰にでもあるはずだ。伝説の人物、黒澤監督の映画をすべて「おもしろい」と感じないように。
AIの支配下
- 私たちは、AIに命令されて行動している。
- アプリと言った方がわかりやすいかもしれない。
- ググッて正解を見つけて、それに従う。
- ググッて、表示され上位ランキングの数件を比較して、何かを選択する。
グーグルの検索によるランキングは、もちろん、世界最高峰の頭脳が集結して作られた世界一のAIの機能に過ぎない。
店に入る前に食べログで点数を確認してから、入る。点数が高いところは、みんなが美味しい店なので、ハズレがない。でも、みんなとは、民主主義の多数決の結果でしかない。自分の舌は、自分の味覚は、自分のことなので自分しかわからない。
インスタで見た写真を撮りたくて、同じ場所へ行く。そして、そこで写真を撮る。結局、やっていることは、見たことのある光景を、なぞっているだけだ。ただの確認作業でしかない。
AI神
映画の事前情報も、グーグルも、食べログも、インスタも、すべて、AIによって支配されている。
AIの性能が、会社の売上を左右する。会社の利益を生み出しているのは、人じゃない、社員でない、経営者でない、AIである。
社会はAIに統治されている。この世界は、AIを神として信仰する世界である。
AIを開発するエンジニアは、神を創っている。神を創っているのは、人だ。大丈夫、世界は、人の支配下である?
エンジニアもAIという神を創成する、機能に過ぎない。
AI神から逃れる術は、もうない。私たちは、もうスマホを手放すことはできない。スマホは生活必需品という枠を超えている。
財布を忘れてもなんとかなる、お金は同僚に借りればいい。スマホは忘れたら何もできない。朝起きれないし、電車に乗れないし、誰かと連絡も取れない。
スマホは、確かに私たちを便利にした。一方で、私たちを奴隷にもした。
スマホで、いつでも誰でもつながる世界は、人間関係を強固にしたように見えても、実際には、人間関係は、薄く広くなっただけで、希薄化している。
私たちは、スマホなしには生活できないように、進化してしまった。
私たちは、一生スマホの奴隷として生きていくしかないのか?
私たちは、スマホを触らない世界を知っている。
恋人とのデート
仲間とのスポーツ
友人との飲み会といった人間関係
映画や食事や旅行という体験
スマホに依存することなく、現実の世界で、そこに実在する人間と接することで、一緒に楽しむことだ。スマホという二次元の世界ではなく、三次元という現実の世界で、体験することで、人間関係を育んでいく。
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