体験 〜 人工知能と人間

2021/11/6
私たちは、効率性を求めて、コンピュータを生み出し、テクノロジーを発達させ、人間の代替をする人工知能を開発した。人間の行っていた仕事の一部を人工知能が補うようになった。効率性を追求していくと、仕事の大半が人工知能に置き換わるだろう。
・大量のデータ処理
・同じようなことの繰り返し
・思考を要しないルーチンワーク
人工知能は、0から1を生み出す創造は不得意だ。しかし、1→10は得意である。人間の創造した何かを真似して、人間の何倍モノ速度で行う。
人工知能は、人間のような意識がないから、コミュニケーションは苦手である。ルールに沿って1人で黙々とやることは得意だ。ルールがなく、相手によってまた環境によって状況によってその時々で対応が変わってしまうようなことは不得意だ。人間関係という生き物の特有のコミュニケーションは、再現性がなく、ルール化しづらい。
逆に言えば、現段階は、効率性を極めている段階である。人工知能の進化の最中である。効率性を追求した人工知能の開発をしている。
効率性を極めると、人工知能である。
効率性を極めるためには
- 人間から創造を奪い、まだ、人工知能の進化が追いついていないルーチンワークを人間に取り組ませ、人間関係を断絶するような仕組みを社会に取り入れる。
- 人間関係の源泉である、感情を喪失させる。人間はロボットとなり、効率性が高まる。
人間は、感情の生き物だ、感情によって行動する。だから、人間から感情を取り除けば、行動しない生き物になる。
そして、生き物である以上は、食事をする必要があるから、ただ生活するための衣食住を得るために、働く存在となり、最適化の完成である。
効率化が極まった最適化された状態で、人間のロボット化が完了した。
感情を持った人間だ。
非効率な人間だ。
人工知能のように、効率的にできないから、人間だ。
人間は、感情を持ち、人間関係を育み、創造して、進化してきた。
そして、進化に、必要なのが、非効率である。
効率性を極めるなら、食事は、カップラーメンでいい。
- 私たちは、非効率ながらも、買い物をして、料理を作る、創造だ。
- 私たちは、非効率ながらも、誰かと一緒に料理を作る、人間関係だ。
- 料理を作る過程を楽しみ、「美味しい」と料理を食べる、感情だ。
人工知能には、体験がないし、不要だ。そもそも人工知能には体がないから体験ができない。効率性と体験は両立し得ない存在だ。
人工知能の進化は止められない。資本主義である限りは、人間は、より豊かにより便利を追求していくからだ。
ただ、私たちは、効率性の極みの人工知能ではなく、非効率で曖昧な感情を持つ人間である。私たちに、必要なのは、人工知能にはできない、体験することである。体験を放棄し、感情を喪失してしまえば、私たちはロボットと変わらない存在に成り果ててしまう。
人生とは、体験の連続によって作られる。
もっと言えば、人生とは体験の積み重ねに過ぎない。
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