人工知能(Ai)の限界

湯浅

人工知能(Ai)の限界

2020/10/21

Aiは、人間を超えるかもしれないけど、それはきっと、まだずいぶん先だ。
Aiは、データで、数値で、表現できるものしか、理解できない。

物質をAiに理解させる

物質は、数値化しやすい。
4本の丸い木があって、木の縦横高さは何cmで、その上に、木の天板があって、木の縦横高さは何cmでのように、全体のサイズを測って決めれば、机という物質は、数値ができる。子供用の机と、大人用の机の高さはずいぶん違うが、それは、たくさんの机を数値化していけば、判断可能になるだろう。たくさんの机を数値化して、判断するのは、Aiは得意だ。

感覚をAiに理解させる

感覚の数値化なんて、最悪だ。

風呂に入っていて気持ちいいは、数値化することは難しい。

例えば、39℃が気持ちいい温度だとして、38℃~40℃が気持ちいい温度だと定義したら、37.9℃は、40.1℃気持ちいい温度ではない。0.1℃の差で、急に、気持ちいいの対象から外される。人は、0.1℃の差は気付かないかもしれないし、まぁまぁ気持ちいいかもしれない。

そして、お湯の温度が違っても、夏と冬で、外気温の影響で、気持ちいい温度も変わってくるはずだ。では、気持ちいいと、まぁまぁ気持ちいいを数値で定義して、夏と冬の外気音も定義すればいいかというとそうではないのだ。

家の風呂と、スーパー銭湯の風呂は違う。スーパー銭湯の室内風呂と露天風呂は違う。スーパー銭湯の露店風呂と、箱根温泉の露天風呂は違う。1人で入るか、2人で入るかも違う。恋人と入るか、友達と入るかでも違う。

世界一周中に、数カ月ぶりに、ジョージアで入る風呂なんて、めちゃくちゃ気持ちいい。

人間の脳は、そういった様々な状況を判断して、気持ちいいと感じている。気持ちいいを、数値化することは、とても、難しいのだ。

人工知能とは、その人間の脳の機能を代替するテクノロジーである。

Aiはプログラムだ

Aiには、実体がない。Aiとは、結局、プログラムでしかない。
「AならBと判断する、AでないならCと判断する」という機能でしかない。
年齢が20歳以上なら、大人と判断して、20歳未満なら、子どもとして判断する。本来は、ただそれだけの機能である。
そのプログラムが、壮大に拡張されたのが、Aiである。

Aiは実体がないから、人間のように、見たり、触ったりというような、五感を通して判断することができない。
人間のように、実世界と結びついて、知識を得ることができない。
Aiは数値化された多量のデータで学習することでしか、情報を得られない。

シンボルグラウンディング問題
人工知能で使われる記号を実世界の実体がもつ意味に結び付けられるかという問題

Aiはテクノロジーだ

Aiは、人間を超えるのには、まだ時間がかかるかもしれないけど、Aiに代替えされる仕事は、たくさんある。

現状でも、窓口の銀行員は、不要になって人員削減されている。
将来、自動運転が進めば、運転手という職業はなくなる。

それは、人間に価値がなくなったのではなく、テクノロジーが進化しただけである。
テクノロジーの進化によって、また、新たな仕事が、人間にしかできない仕事が生まれるだろう。

Aiに仕事を奪われると恐れるのではなく、Aiは、プログラムは、ただテクノロジーなのだということを認識する。
そして、共存していく術を見つけることが必要な時代である。

Aiは、まだ、気持ちいいを知らないし、愛も知らない。そもそも、生命体ですらない。

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