【本要約】「超入門」空気の研究

★重要

【本要約】「超入門」空気の研究

2021/12/24

概要

  • 昭和以前の人々は「その場の空気に左右されることを恥」と考えていた。
  • 現代の日本では、空気はある種の絶対権威のように力を奮っている。

あらゆる論理や主張を超えて、人々を拘束する空気の正体を解明し、日本人独特の伝統的発想・心的秩序的・体制を探る。

空気の研究は、日本人の特殊な精神性や、日本的な組織の問題点を指摘する存在である。

・神経をすり減らす人間関係
・個性より周囲との協調性を優先する教育
・組織内での圧力

目立つことを避けながらも、周囲を常に意識しなければ不安にさせられる相互監視的な日本社会のリアル。誰もが空気に怯えながら、空気を必死に読む日々に疲れ切っている。

空気から日本社会の息苦しさを連想する。自由に意見が言えず、人と違えば叩かれ、同調圧力を常に感じる。

・日本の組織・共同体は「個人と自由」という概念を排除する。
・変化しない組織・共同体は「空気」という共通の特徴がある。

統計も資料も分析も、またそれに類する科学的手段や論理的論証も、無駄であり、それらをいかに精緻に組み立てておいても、いざというときは、すべてが空気に決定されることになる。私たちは、何よりも先に、空気の正体を把握しておかないと将来、何が起こるか、見当がつかない。

日本人の民族性のひとつは「郷に入れば郷に従う」で、状況に即応する事が挙げられる。それは、明治維新・文明開花・敗戦後という歴史が証明している。敗戦で平和な時代になると「鬼畜米英」が「アメリカ自由主義万歳」となる。

【空気の正体をつかむ「7つの視点」】

①「空気という妖怪の正体」
なぜ空気が合理性を破壊するのか。

②「集団を狂わせる情況倫理」
日本人は、共同体・集団になると、なぜか愚かな決断をしてしまう。

③「思考停止する3つの要因」
日本社会の中に、空気の拘束をより強力にしてしまう要素が存在する。

④「空気の支配構造」
空気が日本社会を支配するときのパターン、精神的な拘束が、物理的な影響力に転換される構造がある。

⑤「拘束力となる水の思考法」
加熱した空気を冷やす「水」という存在、水の機能とその正体である。

⑥「虚構を生み出す劇場化」
空気は虚構を生み出すが、人間社会では虚構こそが人を動かす。

⑦「空気を打破する方法」
根本主義から、空気打破の方法を論じる。

・日本社会に息苦しさを生み出す空気
・個人に自由を許さない共同体原理
・日本の組織を支配して、合理性を放棄させる恐ろしさ
  1. 空気 = 前提による拘束は、問題解決能力や方向転換の能力を破壊する。
  2. 古い前提に一致しない都合の悪い現実を、無視し続ける圧力となる。
  3. 空気に拘束された集団は、前提に支配されて意思決定を行なってしまう。
  4. 不合理な結論が誘導されてしまう。

①空気の正体

空気が前提を作り、前提からはみ出した意見や結論を一切許さない圧力となる。

私たちは、その圧力に抵抗できない。空気という前提によって、自らの意思決定を拘束されている。人が「空気から逃れられない」とは、人が「ある前提から逃れられない」と置き換えることができる。空気があると、その前提を基に結論を出すことが強要される。

空気 = ある種の前提

・空気を読む … 前提を理解する
・空気を作る … 前提を作る
・空気に支配される … 前提に囚われる
空気は「絶対的な支配力を持つ判断の基準」と表現できる。

空気を「特定の意見や前提に同調しろという強制」と捉えると、空気は同調圧力となる。

同調圧力 … その前提に従わない者への嫌がらせ・攻撃・弾圧である。

【空気の最大の弊害】
・意図的な前提を掲げて押し付けることで、都合よく現実の一部を隠蔽する。
・前提と現実にギャップががあれば、現実を無視させる。
・前提の合理性を無視させ、集団の問題解決力を破壊する

空気を悪用する目的が、誘導的な前提を掲げて、現実を都合よく隠蔽することなら、
空気を打破する基本は、人工的な前提を疑い、隠された現実を、表出化させることだ。

私たちは常に、論理的判断の基準と、空気的判断の基準という、一種のダブルスタンダードの元に生きている。

二つの基準は、明確に分かれているわけではない。

  1. ある種の論理的判断の積み重ねが、空気的判断の基準を醸成していくという形で、両者は一体となっている。
  2. 論理的に議論していくと、いつの間にか、空気が醸成されてしまう。
  3. 議論における言葉の交換それ自体が一種の前提を醸成していき、最終的には、その前提が決断の基準となる形をとる。

②情況倫理

日本人は情況倫理に支配されやすい。

情況 … 空気=前提を起点にして形成された、集団のモノの見方
情況倫理 … 情況によって善悪の基準が変わる倫理

集団が特定のモノの見方 ( 情況 ) に支配されるとき、従う者は自分も集団の情況作りに参加している。情況は圧力として迫ってくるため、集団のモノの見方に感染しやすい個人は、倫理観を保てず情況に飲まれてしまう。

③空気の拘束力

【思考停止する3つの要因】
・臨在感
・感情移入
・絶対化

・臨在感
人が因果関係を推察することで生まれる感情であり、その感情を対象と結び付けることで、物や人が恐怖や崇拝の対象となる現象を生み出す。

臨在感的把握 … ある対象と何らかの感情を結び付けて理解すること

・感情移入
自分の心や感情を「現実だ」と感じること
感情移入の感覚が強い日本社会では、精神的な安心を優先して「必要な情報さえ隠す」「リスクを過小評価させる」傾向が強く、物理的な破綻を誘発して、被害を劇的に拡大させてしまう。

・絶対化
「100%感情移入することによって、感情移入だと考えない」状態にならねばならない。
絶対とは「条件を問わず、例外なく、いかなる視点からも同じことが言える」ということだが、現実は、本来、相対的である。
日本人の思考にある軽率な絶対化が、虚構や矛盾を生み出す。

④空気の支配

・文化的感情の臨在感的把握による支配
・命題を絶対化する言語による支配
・新しい偶像による支配

臨在感的把握

人骨などへの感情移入・臨在感によって起こる原始的な空気支配

日本人とユダヤ人が共同で、毎日のように人骨を運ぶことになった。それが約一週間ほど続くと、ユダヤ人の方は何でもないが、従事していた日本人二名の方は少しおかしくなり、本当に病人同様の状態になってしまった。

人骨を運搬する作業を続けると、日本人だけが病人のようになり、人骨投棄の作業が終わると、二人ともケロリと治った。

日本人の二人は、人骨に、特別な文化的感情を持っていた。「穢れという意識」「忌避すべき対象」「人骨に魂が宿っている」などの感覚だ。

その上で、「感情移入の絶対化」すなわち「自分たちの心や感情が現実である」という思考が強くなっていけば、「穢れや恐れを人骨に感じる」 という感情が現実であり「自らが穢れや呪いなどにかかる」という状態を招いてしまう。

一方、人骨に日本人のような文化的感情を持たないユダヤ人は何ともない。この場合は、日本人の伝統と感情の結び付けが、空気の支配を生み出した。

命題の絶対化

「AはBである」という前提を絶対化して他の可能性を考えさせない。

言葉で人の思考を拘束する。
単なる空き瓶に「劇薬」と大きく書かれた紙を貼り、どくろのマークをイラストとして描けばどうなるか。歩道にそのビンがあれば、人はそれを避けて通るだろう。場合によっては警察や役所に通報するかもしれない。

ラベルやイラストなどの図像は、人間の思考を強力に拘束する。命題や名称による空気の支配を発揮させるのは簡単だ。最初に、真っ赤な「ウソのラベル」を貼るのだ。

  1. 大衆をだますために、中身とまったく違う名称のラベルを最初にビンに貼っておく。
  2. 大衆は「中身がラベルとまったく違う」とは、疑わなくなる。
  3. 命題や名称をある種の前提として機能させて、空気を生み出す典型的なウソだ。

言葉や数字は「現実と一致していなければ、すべて虚構である」が、日本人は「言葉 = 現実として絶対化する」、言霊信仰のような思考をする傾向がある。

言葉 = 現実という感覚を持つ日本人は、言葉と現実を突き合わせる習慣が希薄である。

しかし、言葉と食い違う現実は常にあり、思いや思考と現実も、本来、全く別の存在である。言葉の絶対化・感情移入の絶対化は、魔法となり、現代でも日本人を騙すことができる状況をつくり上げている。

・「文化的感情」の臨在感的把握による支配
・命題を絶対化する「言語」による支配

二つの空気は、人の心の中で結び付けられた、何らかの意味や感情を、拘束力に変換することで、空気として大衆を誘導し、視野を狭める効果を発揮する。

新しい偶像

一塊の大理石がとても美しかったので、ある彫像家がそれを買った。
彼は言った。
「私のノミは大理石を何にするだろうか。
神になるのか、テーブルか、それとも水受けか。
神になるだろう。それも、雷を手中にした神にしたい。
怯えろ、人間たちよ。祈るのだ。それは地上の支配者だ。」

彫刻家は、彫り上げるまでは大理石をどう扱うか、完全な自由を持っている。しかし、一旦、雷神像 ができ上がると、大理石はまさに神となり、今にもその雷に撃たれて自らが灰になることを恐怖する。

理由は、大理石が雷神の形になると、人間の感情投影を極度に促進するからだ。自ら投影した「恐れ・崇拝」の感情に人が支配されて、つくり上げたものが神になる状態である。それが偶像による支配と、偶像崇拝である。

偶像化とは、臨在感的な把握を極度に促進して、善悪を誘導することでもある。フェイクニュースのようなウソの報道でも繰り返されると、私たちは対象と特定の感情を結び付けて、相対的な視点で対象を見ることができなくなる。マイナスの感情と結び付けられて悪の偶像となると、私たちはそれ以外の情報 ( 例えば良い面 ) を一切受け付けなくなる。偶像化とは、外見・映像・情報などで人の心に感情的な前提を刷り込むことだ。結び付けられた感情と逆の可能性を、私たちに検討させないための大衆扇動術である。

新しい偶像の対象は、現代のメディア、テレビなどの映像文化も含まれる。

メディアは、対象と善悪の感情を為政者の都合の良い形で結び付けて、人々の思考を拘束することに利用されてきた。
【空気による支配の例】
・この前提を起点として思考しろ
・この前提からはみ出すな
・この前提から外れた意見を出すな
・この前提から外れたものを抑圧しろ
前提こそが結論を支配する。

何を前提として議論を始めるかで、ある意味で結論が決められてしまう。結論を押し付けるよりも、前提を押し付けた方が、大衆煽動も気付かれなくなる。ある種の前提が浸透することで、現実を変えてしまう影響力を発揮する。

⑤水

水 … 最も具体的な目前の障害
雨 … 水の連続したもの、即ち、日本社会の常識や通常性 ( 文化・習慣 )

日本人は空気に突き動かされたとき、非現実的な行動を誘発する。それを防止する役割を果たすのが、現実的な障害を意味する「水」、水の集合体としての日本社会の通常性「雨」である。

ある一言が、水を差すと、一瞬にしてその場の空気が崩壊する。その場合の水は、通常、最も具体的な目前の障害を意味し、それを口にすることによって、即座に人々を、現実に引き戻すことを意味している。

水 = 現実を土台とした前提

  • 空気 = 前提は、虚構を誘発する存在である。
    空気は、願望で現実を無視させる方向性を持つ。
  • 水を差すは、現実を土台とした前提として機能する。
    願望に対するブレーキとして、水を差すことになる。

水は、現実を土台とした前提として、空気の前提が無謀すぎるとき、反論に使われる。しかし、真の動機に水を差さない限り、無謀な空気は繰り返し現れる。

水と雨の正体は、空気の逆である。ポジティブで楽観的な空気に対して、不都合な現実としての水をぶつける。空気の逆作用が水であり、水の逆作用が空気である。

【日本人を拘束する二つの構造】
空気 … 不都合な現実に対する願望的な前提
水 … 非現実的な目標への抑止となる、現実を土台とした前提

加熱した空気を崩壊させる水は、空気の拘束から解放してくれる「自由への道具だ」と思われた。しかし、無謀な空気を現実に引き戻す一方で、一般的な常識や現実的な視点に、私たちを拘束する別の鎖でもある。

対極であるはずの水は、その通常性ゆえに、やがて「そういうもの」という諦めを持って常識に変容する。水も空気支配に到達する。

戦時中のにおける、戦争反対者に対する「おまえは非国民だ」の指摘には構造がある。
物理的な問題を、感情や心情的な問題にすり替えている。
「みんなが努力しているのに、お前はそれを否定するのか」という非難は、いつの間にか「物理的な問題を心情的な問題にすり替えている」ことがわかる。物理的な視点ではウソがつけないため、集団の情況や心情を持ち出してくる。
また、日本人が好む「人の努力は常に尊い」という発想にも危険がある。
人の努力が尊いとは、正しいことをしている場合に限って言えるはずだ。間違った努力を継続すれば、本人も周囲も社会全体も不幸にするだけだ。

相対化とは、命題が「正しい場合」と「間違っている場合」を区分することであった。努力も絶対化すれば、不幸を拡散させ悲劇を増大させる悪そのものになる。

西欧の基本思想は、徹底的な相対化である。命題が正しい場合と、間違っている場合を明確に区別する。「条件なく命題が100%正しい」という絶対化は、神の権威以外は許さない。

「日本的誤用」の典型例は、限られた条件の健康診断の検査項目をクリアしただけで、すべての物事が「科学的に問題ない」としてしまうことである。本来の相対化思考に従うなら、その実験が証明していない範囲をまず明確にすべきなのだ。それをせず、「この理論・データが証明している」という前提を押し出して、証明できていない領域のことを隠してしまう。

「科学的、あるいは論理的に考えて」という言葉は、その科学や論理が「どの部分までを立証して、何を立証していないか」を明確にしなければウソが含まれる。

一見、理論やデータを扱うように見せて、日本では「現実の一部を隠すために、論理を空気 ( 前提 ) に転換して悪用している」という指摘である。

⑥空気の劇場化

徳川幕府の体制に大きな影響を与えた禅僧、鈴木正三

一家を食べさせるため必死に働く農民が、熱心に仏行に励みたいが時間がない悩みを、正三に打ち明けた。農民の悩みから、正三は次の解決策を編み出した。

禅僧、鈴木正三の言葉
「農業すなわち仏行である」
「何の事業もみな仏行である」

正三は、農民が農業に励む、生業に一意専心することは「仏行」だとした。これで農民は一心に働く日々を変えずに、熱心な仏教徒という自己暗示を得る。正三の新たな定義は、江戸時代から現代まで続く「仕事を仏行のように捉えて自己修身とする日本人の仕事観を形成した」とも言われている。

インドや中国で仏行に励む修行僧の多くは、人々の喜捨 ( 施し ) で生活しており、1日の大半を仏行だけに費やしている。

本来の仏行と比較して、仕事が仏行になるのは、家族を養うことと、心の安寧を両立しており、極めて実用本位な思想の活用である。「空気と水」の観点からすると、願望と現実の二つを接合したような発明である。しかし、両者を比較すれば「これが果たして仏教なりや?」という指摘も当然のように出てくる。

日本には、海を隔てて中国大陸があり、大陸から文化・技術が生まれた。遠く海を隔てたことで「文化・技術を輸入しながらも、日本人が咀嚼・分解して独自の解釈をする、利用方法を完全に変える」などの創造性を発揮する余地があった。

定期輸入する文化・技術の恩恵は最大限に活用する。しかし、その度に根本部分まで影響を受けると、生活が激変する。これは防ぎたい。そのため、輸入対象の文化・技術をばらばらに因数分解して理解し、特に恩恵があり活用しやすい実用面から自在に導入する能力が高まった。

徳川時代に日本は儒教の影響を徹底的に受けたが、科挙の制度は取り入れていない。いわば、骨組みはどこかで骨抜きにされ、肉の部分は何となく溶解吸収され、結局は「儒教体制という形にならずに消えてしまった」という経過を辿っている。

このプロセスで極めて重要なのが、「思想と技術・実用性を切り離す能力」である。禅僧、鈴木正三の逸話では、農民はお経を唱えることなく、生業に一心に励むことで、仏教徒となり心の平安が得られた。ある意味で最も本質を突いた改変・創造である。

日本に作用する「何かの力」とは、新たな事実や発見が醸成している空気に一致しない場合、先んじて、その新事実や新発見を取り上げて、「空気に一致する解釈」をつけて大々的に公表する。新たな事実や発見を、空気で日本を支配している側の不利にさせないための行為である。

体制側に不都合な問題が起こったときも、自分たちにとって都合の良い空気 = 世論を誘導する力が日本ではすぐに働く。

虚構は人を動かす力となるゆえに、人を操る道具としても日々利用されている。
極度に、重大なテーマを意図して掲げるのは「他のことはすべて無視されても、踏みにじられても仕方ない」と大衆に思わせる前提づくりなのだ。「国家・国民の安全」を名目に、国民のあらゆる権利を剥奪して「資産をすべて奪い取るのも止むなし」という空気の醸成を狙う。

支配を維持するには、すべての情報を遮断して「情報統制」をしなければならない。鎖国はその究極の形である。

私たちが、どう判断しようと、現実はそれと一切関係なく存在している。
劇場とは、ムラ人全員に同じ物の見方を強制して「虚構」をつくり上げることだ。

しかし、虚構の劇場は、外の現実に触れる場所では悲劇的なほど簡単に破綻する。

多数決とは「議題にプラスの面とマイナスの面の両方が必ず含まれていること」を意味する。賛成多数でも、議題のマイナス面が消えるわけではない。空気の支配が横行する日本では、賛成多数を「マイナス面を無視していい免罪符だ」と勘違いした主張がある。

  • 空気で支配する側は、自分たちの前提を崩壊させる自由には、すぐに否定的なイメージをマスコミや大衆を使って構築させ、非難の空気をつくり出して潰す。
  • ある前提にとって不都合な情報は、メディアで一切報道させない圧力をかけ続けている。
  • 支配者の醸成した空気に沿った議論や行動はどんどん加速させて、いかにも自由に振る舞うことができるかのような錯覚を抱かせる。

これは「本当の自由」ではなく「虚構の自由」だ。虚構で人々を支配する日本では、自由さえ虚構となり、日本国民を欺いている。

日本社会全体が、空気で大きく動いた時代
① 明治維新後 ( 文明開化の絶対化 )
② 太平洋戦争時 ( 戦争遂行の絶対化 )
③ 敗戦後の経済復興期 ( 戦争放棄・経済成長の絶対化 )

空気という前提に支配されても「真実が日本の外にある」と考えるとき、日本は常に飛躍を成し遂げてきた。日本の外を知ることは、日本を正しく理解することであり、日本では虚構の外側を知ることが、あらゆる優位をもたらす力となる。

⑦空気の打破

「空気の相対化」

【例文】
水不足のため、この地域では新たなダムの建設が必要とされている。

この文章には、隠れた前提が複数ある。例えば「水不足が本当であるか否か」また、仮に水不足だとしても「その解決策がダム建設で本当に正しいのか」などが挙げられる。しかし、水不足だと判断する条件が不明な上に、事実の確認はなされていない。水不足を解消できる「他の選択肢」を一切無視した前提だ。

[ AならばBである ] という前提は、2つの基本的なポイントに疑問を持つべきだ。
疑問1:本当に現状はAなのか?
疑問2:Aの場合でもB以外の選択肢もあるのでは?

先の文章は、成立条件を明示しないのに、隠れた前提が絶対化されている。

空気の相対化は、歴史を学び、歴史観的に物事を判断することでも養われる。

歴史上では [ AならばBである ] と一時的に絶対視されたことが、時代の変化で、あっけなく覆っていることが多々ある。「あっけなく覆る」「みんなが一時的に正しいと盲信したことが、実は大きな間違いだった」事例を、数多く学ぶほど、前提を相対化する思考が身に付く。

この世界に溢れている、あらゆる前提を健全に疑う習慣を身に付けることだ。[ ○○はAである ] と、いかにも当然のように提示される前提が、実際に「真実であるか否か」を、その前提が成立する条件・成立しない条件を基に、常に考えるべきなのだ。

「空気を断ち切る思考の自由」

空気 = 前提とは、ある種のしがらみである。多くの知識や過去の経緯などへの理解が、思考の自由を妨げる。ある意味で前提となる古い知識や体験が、創造的な発想や選択を不可能にしてしまう。

創造とは、あらゆる拘束を自らの意志で断ち切った思考の自由とそれに基づく模索だけである。まず、空気から脱却し、通常性的規範から脱し、自由になることだ。

「流れに対抗する根本主義 ( ファンダメンタリズム ) 」

排除できない前提に対して、打破する力を強化することで突破する。根本主義は、最も譲れない原点を基に、前提や既存の流れを打破する行動である。

・日常では、人生を支える多くのものがどれも大切に思える。
・一大事が起きたとき、自分は何を最も重要なモノと考えるか?

「人の世を創ったのは、ただの人」という日本人の根本思想は何をもたらしているか?

  1. あらゆる取り決め ( 前提 ) は「自分たちと同じ人が創ったにすぎない」という感覚である。
  2. そのため「人が創った取り決めに、神聖な絶対性はない」と日本人は考える。
  3. この感覚、意識ゆえ、宗教が人間生活の上に位置することがない。

なぜ、日本人は、人間関係や共同体との関係性を絶対視するのか?

  • 日本人にとって「世界は、私たちと同じ人が創り、人間しか存在しない場所」だからである。

日本人の考える無神論は「神に支配されたくない」という感情である。それは大多数の人々の共通感覚だから、もしそれを無神論というなら、日本人は無神論である。

  1. 日本人が神に支配されたくないのは、そのぶん、自分の主体性を奪われるからだ。
  2. 日本人は、主体性が大好きで、努力が大好きで、努力でよりよい結果を実現しようとする。
  3. 日本人は、努力をしない怠け者が大嫌いで、神まかせも大嫌いである。

世界中どこにでもあり、日本だけに存在しないものが、宗教と論理だ。正確にいえば、日本教という宗教が日本を支配している。

日本人は「確固たる思想や主義を持たない」と言われることがある。しかし、日本人は「思想や主義などの人為的な概念が、絶対的なものでも、神聖なものでもない」という確固たる思想を持っている。一方で、日本人は、空気に支配され、空気を絶対化してしまう性質がある。

なぜか?

思想や主義などにある人為性を嫌う反面、社会変化・時代のトレンドや方向性を、集団の多数派の考え方で判断してしまう傾向がある。一人の人間の意見は「排除すべき人為」でも、集団の多数派を占める意見は「自然発生的なトレンド」と日本人は捉えてしまう。

空気支配からの脱却には、根本主義 ( ファンダメンタリズム ) が必要である。変革が必要なとき、原点こそが危機を乗り越える新たな力を生む。「根本主義 = 原点回帰を基に危機に立ち向かう」ということは「原点と今ある現状を組み合わせた変革へと進む」ことである。原点とは活力であり、未来を独自の視点から読み解くことである。原点回帰は、目の前の前提という空気の拘束を超える情熱を生み出す。

目の前の正解にばかり飛びつけば、やがて、どこかで問題解決ができなくなる。そんなとき、原点から未来を眺めて独自の挑戦に着手する。個人の原点の明確化こそが、空気の支配を打破する最強のエネルギーと推進力を生み出す。古い前提に拘束された最善解を排除して、前提のない状態で、最善・理想的な可能性を検討・追求する。

自分の正義

「自分の正義」「集団に貢献する独自の正義」「集団内での新しい正義」が共同体の中に投げ込まれることで、現在の共同体よりもさらに進化して、幸福・豊かさ・健全さの新しい最適化を成し得る。

  1. 古い前提を否定する、非合理とも言える独自の正義を掲げる。
  2. 独自の正義の実現を合理的に追求する。
  3. 人々を古い前提から解放して、自由と新たな利便性を与える。

革新・革命・自由の創造は、普遍性の高い社会正義から生み出される。その社会正義の普遍性が高いほど、社会に幸福をもたらす。

「こんなことを考える人がいない」ということは、「多くの人が思考の盲点に陥っている」ということだ。逆に、そうした盲点にこそ、他人からすれば非常識だけど、モノゴトの本質が隠れている。

「古い前提 = 人々を拘束している悪しき前提」の否定には、エネルギーが必要だからこそ、譲れぬ正義が効果的である。

成功している前提条件を分析する力、その前提条件を破壊して、自分に有利な状況を作り出す力こそが、原動力である。未来は古い前提とは関係なく発展し、新たな変化は広がっていく。古い前提に固執すれば、人々を拘束したまま自らが時代遅れになっていく。悪しき前提を見抜き、新たな未来のために、より多くの人々が幸福になれる前提を発見する。古い前提から自由になり、新しい前提を作り上げる力こそが未来を豊かにする。

  • 空気 = 前提の固定化は、モノゴトの追求や分析力を徹底的に破壊する。その前提に反する現実を見ない。現実の誤りを受け入れて、対応を修正しなければ、破滅への道を辿ることになる。

対象と善悪の判断を結び付けて捉えてしまうと、感情的な前提や先入観に反する現実が見えなくなる。感情的な善悪に支配されると、対象の分析にバイアスがかかってしまい、正しい分析にはならない。対象をありのまま分析するには、感情の放棄が必要となる。

  • 空気 = 前提の固定化は、問題解決力を失くす。失敗しても継続するならば、強固な思い込みである前提を疑う必要がある。

他者の現在を美化して未来像にすることは、他者が拘束されている前提を自らも引き継ぐことを意味する。それは、真に創造的な未来ではない。未来は古い前提とは関係なく発展する。「一切の拘束=前提がない」と仮定して理想像を描き始めることが、本当の豊かさと繁栄を未来に生み出す。

  1. 時代遅れとなった社会が自己正当化のため、前提を継続して支配しようとする。
  2. 古い前提にしがみつくため、共同体を空気で拘束し始める。
  3. 悪しき前提は本当の問題点を隠すので、空気に支配された社会は問題の核心に辿り着けない。
  4. 知性が「正しく考えて判断する能力」であるならば、
    空気による支配は、知性を奪われることである。
    空気の打破とは、知性を取り戻すことである。
  5. イノベーションは常に、空気を打破する者によって成し遂げられてきた。
    拘束を解放したとき、新時代が空気の打破と共に訪れる。

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