言葉という空気
2021/12/22
言葉はおもしろい。
言葉を操ることは、行動変容へとつながる。
言葉を操ることは、行動変容へとつながる。
私たちは、情報を得て、モノゴトを判断している。
例えば、
- ググって、わからないことを知って = 情報を得て、行動している。
- 食べログで、点数の高いお店へ行く。
- インスタで、旅行の観光スポットへ行く。
私たちは、インターネットに覆われて生活している。確かに、先生から、同僚から、友人から情報を得ることもあるが、現代の私たちの情報の源泉は、インターネットである。いつでもどこでも腕にある、手のひらにある、デバイスから情報を浴びている。
情報は、二次元である。
文章か、画像か、音声か、動画か、またはその組み合わせかである。
そして、すべての根幹を為すものは、言葉である。
文章か、画像か、音声か、動画か、またはその組み合わせかである。
そして、すべての根幹を為すものは、言葉である。
モノゴトを人に伝わるように、わかりやすく表現したモノが、言葉であり、言葉を用いることで、人類は共存し繁栄してきた。
言葉なしに人類の進化はなかった、だから、言葉は、私たちにとって空気のような存在である。すでにそこにあることすら、意識しない、あるのが当然である。
何も考えないようにしても、気が付けば無意識に言葉を使って考えている。言葉とは、自分の意識の言語化ツールであり、他人とのコミュニケーションツールである。
- 言葉は、自他共に、すべてのモノゴトの源泉である。
- 言葉は、情報の枠組みである。
視界に入るすべてのモノは、切り取ることで、具体化される。
視界の先に陸地が見えない無人島のビーチで、眺める世界で、地平線より上の蒼を空と名付けた。地平線より下の青を海と名付けた。そもそも、その蒼と青の境目を地平線と名付けた。
赤ちゃんは、世界を知らない赤ちゃんは、空と海を区別できない。目に映る世界がすべてだ。世界に言葉があることを知らない。言葉は枠組みだ。目に映る世界を区切ることで、モノゴトが具体化される、それに言葉という名前を付けた。そうやって、目に映る映像を切り取って、名前を付けて、言葉を創っていった。
言葉を空気のように扱っているけれど、言葉には、歴史があり、重みがあり、底知れぬエネルギーがある。だから、時代を超える言葉がある。
- 2000年以上前の言葉が本になって生きている。
- 2000年前の言葉が宗教となって生きている。
言葉は死なない。私たち人間は死ぬけれど、言葉は生き続けて、人々に叡智をもたらす。信仰をもたらす。
- 言葉は、私たちの思考・行動の源である。
- 言葉によって、私たちは、行動変容する。
新しい時代は「行動変容のプラットフォームとなるか?否か?」が成否を決める。
行動を起こしたいときに、行動を促される本をレコメンドするレベルではない。
行動を起こしたいときに、行動のモチベーションとなる、「自分だけの文章を読んで、その通りに行動すれば、自分の幸福が得られる」というオリジナルの言葉たち。
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