【本抜粋】空気の研究
2021/12/5
・論理的判断基準
・空気的判断基準
■臨場感的把握の絶対化
■感情移入の絶対化
■命題の絶対化
■臨場感的把握の絶対化
・目に見えない何かが「その場に存在しているか」のように感じる。
・特定の人・モノ・場所に対して「目に見えない何かが、宿っているのではないか」と感じる。
神・霊魂・お守りである。
その感覚を信じることは、臨場感的把握を絶対化することだ。
■感情移入の絶対化
自分の思考・感覚を「絶対的なモノだ」と信じることだ。
自分が楽しいことは、相手も楽しいはずだ。
■命題の絶対化
「正義は勝つべきである」「正しい者は報われるべきである」といったことを信じることだ。
私たちの社会は、様々な命題が絶対化されることで空気の支配を受け続けている。
例えば、誰かの意見が、水を差して、その場の空気が崩壊することがある。
この場合の水は、具体的な目の前の障害を意味している。障害を口にすることで、その場を現実に引き戻す、ブレーキの役割を果たす。
現実に目を向けることなく「空気さえ盛り上がってしまえば、やり遂げられるのではないか」といった錯覚を抱き続けてきた。
実際に、空気に、水を差すことがあっても、見て見ぬふりをしてきた。まさに、焼石に水である。
あの情況ではあの行為が正しいが、この情況ではこの行為が正しいと、当時の状況も知らないのに、その当時の情況を無視して、今の情況下で判断することは間違っている。当時の情況であの行為が正しかったのだ。非難されるべきは、あの行為をせざるを得ない情況を創り出したものだ。といった一連の倫理観とその基準である。
空気は集団の中に、情況倫理といった独自のモノサシを創り出し、それがまた空気を生み出す温床となる。責任の所在が曖昧になり、真実が見えなくなる。
毎日、水が雨のように降り注ぐように、メディアを通じて社会に拡散されたら、日本は古くからある社会通念・一般常識・固定概念といった空気に包み込まれ、保守的で窮屈な社会になってしまう。
現実に目を向けさせる水は、空気の対抗手段としては、不十分であるだけでなく、新たな空気の呼び水となる。
この世は、虚構の世界、虚構の中に真実を求める社会であり、虚構の支配機構である。虚構の存在しない世界は存在しないし、人間を動かすのが、虚構なのだ。その虚構に何かの力が作用するのは、当然のことなのだ。
虚構というのは、人間を動かすシステムであり、システムを正常稼働させるには、空気という材料と、空気が充満した閉鎖された空間が必要である。その空気によって保たれている秩序を守るためには、なんらかの圧力がはたらく。この仕組みは、良くも悪くも利用できる。
日本社会を俯瞰したときに、人間を都合よく操る閉ざされた空間になっていないか?
メディアによる情報統制によって、不都合な真実は闇に葬られ、支配機構の秩序を乱さないニュースだけが国民に届けられる。権力者に都合のいい空気が作られ、世論が形成され、社会の歯車が回っている。学校や会社も同じような仕組みで成り立つ閉鎖社会であり、それが統合されて日本社会が作られている。
- なぜこんなにも窮屈なのか?
- なぜ自由な発言が許されないのか?
多くの人が抱いている閉塞感・拘束感は、空気の力学によるモノだった。
空気から脱却する唯一の道は、あらゆる拘束を自らの意思によって断ち切った思考の自由と、それに基づく模索だけである。自らの信念といった原点に回帰することで、自分の思考を取り戻し、空気的判断から逃れることができる。
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