【本要約】アルケミスト

【本要約】アルケミスト

2021/12/11

少年には目的があった。彼の人生の目的は、旅をすることだった。

「もっと広い世界を知りたい」と思っていた。勉強して知識をつけることより、重要だった。旅をできるのは、お金を持っている人か、羊飼いだけだった。父親は、羊を飼うお金を渡して少年を祝福した。

少年は父親の目の中に「自分も世界を旅したい」という望みがあるのを見た。それは、何十年もの間、飲み水と食べるものと、毎晩眠るための一軒の家を確保するために深くしまいこまれていたモノ、今もまだ捨てきれていない望みだった。

少年は、知らない。父親がその望みを叶えられなかったのは、少年の存在なのだ。だからといって少年が悪いわけでは、もちろんない。父親は、自らの意思で、父親になったのだ。自分の望みよりも、少年の父親になることを選んだに過ぎない。
私たちは、すべてを手に入れることは難しい。だから、選ぶしかない。「夢か子か」と。父親は自分の意思で選んだのだから、自分の人生を責めてもいけない、少年を責めてもいけない。自分を肯定し、少年を肯定する。自分の望みを叶えてくれる少年を祝福する。

最も大切なことは「少年が、日々、自分の夢を生きることができること」だった。少年は、できるだけ、まだ通ったことのない道を旅するようにしていた。世界は大きくて無尽蔵だった。

夢は実現する可能性があるからこそ、人生はおもしろい。

夢は難しい。

人生で簡単に見えるものが、実は最も非凡なのだ。

人生は、すべてがハッキリしていて、全てが可能だ。夢を見ることも、自分の人生に起こって欲しいすべてのことに憧れることも可能だ。自分が「何か本当にやりたい」と思うときは、その望みは、自分の使命であり、運命である。自分の運命を実現することは、人間の唯一の責任だ。自分が何かを望むとき、世界は、実現を助けてくれる。

人は自分の夢見ていることをいつでも実行できることに、気が付いていない。

これまで慣れ親しんできたモノと、これから欲しいと思っているモノとのどちらかを選択しなければならない。

毎日が同じ、毎日が前の日と同じということは、太陽が昇るというような、毎日が起こっている素晴らしいことに気が付かない。

風の自由さを羨ましく思った、そして、自分も「同じ自由を手に入れることができるはずだ」と思った。自分を縛っているのは自分だけだった。すべては、自分の運命への道筋にあるステップに過ぎない。

  1. 自分で決心してゆく。
  2. 自分がやってゆくことは、たったひとつしかない。それ以外はない。運命に従う。
  3. 自分は本当に起こっていることではなく、自分が見たいように世の中を見ていたのだ。
  4. 自分の意志で決定する。
  5. 結局、自分がいつも望んでいたのは「新しい場所を知りたい」ということだった。

新しいことをたくさん学んでいた。そのいくつかは、既に体験していたことで、本当は新しいことでもなんでもなかった。ただ、今までは「それに気が付いてなかった」だけだ。「なぜ気が付かなかったか」というと、それにあまりにも慣れてしまっていたからだった。

「他人が自分に教えてくれた」のではなく、「自分が他人から学んでいた」だけなのだ。

時には、川の流れは、もう止められないこともある。

「モノゴトをよくしよう」としたときの言葉
・「熱中する」という言葉
・「愛と目的を持ってモノゴトを達成する」という言葉
・「信じていることや望んでいることを追求する」という言葉

世の中には、自分の夢を知っていても、その実現を望まない人がいる。

「自分の運命を実現しよう」と努力する者を助けるために、世界の歯車は回る。

自分の夢を実現させるために働いてきても、自分の決心が揺らぎ、幸せを感じなくなったら、それは、本当の夢ではない。

「決心することは、始まりにすぎない」ということだ。決心するこということは、急流に飛び込んで、そのときには夢にも思わなかった場所に連れてゆかれるようなものだ。

世の中で、自分の身に降りかかる出来事のすべては、ひとつなぎの鎖のようなもので、ひとつずつ、つながって起こっていく。

自分の運命の実現に近づけば近づくほど、その運命が、ますます、存在の真の理由になっていく。

直感とは「魂が急に宇宙の生命の流れに侵入することだ」と理解し始めた。そこでは、すべての人の歴史がつながっていて、すべてのことがわかってしまう。そこにすべてが書かれているからだ。

人は「本を開けるたびに何か大切なことを学べる」という迷信を持っているが、状況によっては、不必要な荷物になることもあり得る。

人は、自分の希望を満たす能力さえあれば、未知を恐れることはない。私たちは、持っているモノ、それが命であれ、所有物であれ、土地であれ、失うことを恐れている。「自分の人生の物語が、世界の歴史によって書かれている」と知ったとき、恐れが消えてしまう。

地球上にあるすべてのものは常に形を変えている。すべてのものは、ただ一つのものが、様々に現れたものに過ぎない。

  • ひとつのモノゴトに集中する、目の前の出来事に集中する、今に集中する。
  • 過去や未来にも生きずに、現在を興味の対象とする。
  • 今に心を集中することが幸せの道である。
人生は、今、私たちが生きている、この瞬間である。

今のこともいつか、思い出となる。しかし、大切なのは今という時間である。人生は、私たちのパーティーであり、お祭りである。過去の教訓と未来の夢と共に今に生きる。

焦ることはない、食べるときは食べる。そして、動くときが来たら動く。

未来のことを知りたいのは「起こって欲しくないことを変えたい」からだ。しかし、変えられるのなら、それは自分が事前に知った未来ではなくなる。起こらない未来になってしまう。矛盾が生じる。確実に起こるから未来なのだ。そして、未来が良いことが起こるならばいいかもしれないが、悪いことが起こるならば、未来を前もって知ることで、まだ起こる前から苦しまなければならない。
・本当に、未来を知ることは良いことか?
・死期がわかっても楽しく生きられるのか?

学ぶ方法は一つしかない。
それは行動を通してだ。
必要なことはすべて、行動を通して学ぶ。

この自然の世界は単なる幻で、天国の写しにすぎない。「この世が存在している」ということは、ただ単に「完全なる世界が存在する」という証拠に過ぎない。目に見えるモノを通して、人間が理解するためにこの世界は作られた。それが行動を通して学ぶことだ。

夢を追求してゆくと「自分が今までに得たものをすべて失うかもしれない」と心が恐れている。心を黙らせる事はできない。心の言うことを聞かない振りをしても、心はいつも自分の中にいて、「自分が人生や世界をどう考えているか」繰り返し言い続ける。自分の心をよく知っていれば、心は反逆することはない。自分の心から逃げることはできない。だから、心の声を聞く。

人は、自分の一番大切な夢を追求するのが怖い。「自分はそれに値しない」と感じているか「自分はそれを達成できない」と感じているからだ。本当に起こると、自分の心が傷付く。傷付くのを恐れることは、実際に傷付くよりも辛いものだ。

夢を追求しているときは、心は決して傷付かない。
追求の毎日が輝いている。
日々の一瞬一瞬が、夢の一部だからだ。
夢に挑戦する勇気がなかったならば、その日々はあり得なかった。

人の心が「夢を追い続けろ」と言わないのは、「心を最も苦しませる」ことだからだ。そして、心は苦しみたくないのだ。

自分の中に、素晴らしい信念を持っていて、そのことを他の人に話したとしても、めったに信じてもらえない。

自分の運命を生きてさえいれば、知る必要のあるすべてのことを人は知っている。しかし、夢の実現を不可能にするものが、たったひとつだけある。それは「失敗するのではないか」という恐れだ。「夢を実現する途中で死ぬ」としても、自分の運命が何か知らないよりかは、ずっといい死に方である。死の脅威は、自分の人生について、多くのことを気づかせてくれる。

すべてのものが、それぞれの運命を持っている。鉱物は、そのままである。すべての人間は「以前の人生よりも良くなりたい」と思っている。銅は銅のままだ。私たちは「今の自分より良いものになろう」と努力すれば、自分の周りのすべてのものも良くなる。

何をしていても、この地上のすべての人は、世界の歴史の中で中心的な役割を演じている。そして、普通はそれを知らない。

同じパターンを何回も何回も繰り返しているとき、もはや、生きてはいない。「生きているときに死ぬ」ということは、リスクを冒すことだ。好きでも嫌いでも、怖くても、取り組まなければならない。

外国語を覚えるための唯一の方法は間違える事だ。人は間違えることで、新しい学びを得る。

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