不安は娯楽だ
2021/9/26
資本論という正しさ
「仕事をしたい」という社会的性質を持ちながらも、「サラリーマンはしたくない」という資本主義の駒としての道を否認する。それならば、資本家という経営者しかない。それは「やったことない」だけでなく、「何をすればいいのか」という軸が定まらず、不安定の中で、不安を抱えている。
仕事を求めてる夢をよく見る。
「仕事をしなければならない」という社会的性質が、「今のままでいたい」という脳の恒常性と格闘している。
- 知識は、無常に、矛盾した行動に疑問を投げかけてくる。
- 自分が目指す未来がない行動にブレーキをかけてくる。

この1年くらいで何百冊の本を読み、聞いてきたのだろうか?数えきれない。
やっぱり『資本論』なのだ。
『資本論』には、これまでの自分の人生の全否定があった。
正しい知識は、本と歴史にあった。
ガムシャラに働いて、「お金持ちになった」ような気がしたけど、「なんか、辿り着いていないよなー」という違和感はあった。
その答えを資本論は、正しく用意していた。正し過ぎるくらいに。
「その正しさ」によって、縛られるようになる。
「歴史的絶対的真実と、この資本主義社会の成り立ち」という事実の前に、「正しさ」を受け入れるしかない。
自分の過去は否定された、これは、どうしようもない、戻れないのだから。諦めもつく。しかし、未来においては、正しくありたい。未来に正しくありたいし、「自分が歩んだ先に掴みとりたい未来がある」と信じられる道しか歩けない。
そのための現在は、その道を探して、『資本論』のような絶対的真理を求めて、本を読み続けている。どうやら、一冊の本に、絶対的真理は、なさそうだ。たくさんの本の中の様々なエッセンスを取り入れ、自分の中でミックスして、こねて、叩いて、伸ばして、という思考を繰り返して、少しずつ形を成していく。
不安は娯楽
感情は娯楽だ。
明日簡単に死ぬことがない現代では、飢えや病気で明日死ぬ可能性がない現在では、感情は偽ったり操ったりする娯楽だ。ジェットコースター・ホラー映画・音楽・ドラッグetc.
だから、不安という感情も娯楽だ。
不安は、ありたい未来への挑戦をしている証拠でもある。ありたい未来を正しく想像しているから、現在とのギャップを痛感し、不安となる。
安定・安心した生活の中に不安はない。
不安を娯楽として、ポジティブに楽しむことだ。不安を今の自分に必要なモノだという認識である。
不安とは、自分らしさの証明

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