わからないからできないことは悪いことなのか?
2021/10/1
「なぜできないのか?」わからないからだ。
「わかったらできるのか?」わかったらできる。
わかったら、努力すれば、できるようになる。
湯浅は、音痴である。
音痴とは、「自分が音がズレていることを感知する機能が弱い」ということだ。
能力の問題ならば、努力によって、いかようにも対応できる。機能の問題は、どうしようもない。
ソフトはプログラミングで対処しようがあるが、ハードの問題は部品を換えないことには、機能しない。
音がズレていることがわからないのだ。わからないモノは、対処しようがない。
みんなできるのに、俺はできないから、笑われる。
恥ずかしかった。
歌うことは嫌いじゃない。
歌うことは楽しいことだからだ。
音痴でも歌うことは楽しい。
でも、みんなの前で歌うことには、抵抗がある。上手く歌えないからだ。自分では上手く歌えているつもりでも、周りからしたら、下手であるからだ。自分と周りの感覚にギャップがある。そして、それは、是正しようがない弱点である。練習してみるけど、機能の問題だから、改善することはない。
合コンの二次会のカラオケが嫌だった。初めて会った女性の前で、いきなり、自分の弱点を晒すのだ。二十歳くらいの多感な年頃には、相当なダメージだ。歌うのを拒否しても、順番は回ってくる。歌わざるを得ない。もうね、すごい嫌だった。だって努力してもできないんだもん。
これほど、極端でなくても、私たちには、わからないことがある。わからないから、できないことがある。
私たちは、人の気持ちがわからないことがある。というか、他人の気持ちなんて、わからないことが日常だ。家族の気持ち、恋人の気持ち、友人の気持ち、同僚の気持ちが、「全然わからない」と言っている。わからないから、わかり合うことができない。そして、ストレスを抱えてしまう。
わからないから、できない。
でも、やりようはある。
湯浅は、どうやって音痴を克服したのか?
克服などしていない、ただ、諦めたのだ。
「どうしても必要があれば歌う、それ以外では歌わない」と割り切ったのだ。わからないモノはわからない。できないモノはできない。
最初から、わからない、できないと割り切ることで、期待しなくなる。「他人とわかり合いたい」と期待しなくなる。期待とのギャップから、怒りや悲しみが生まれるのだ。そして、それがストレスの原因となる。期待しなくなると、怒りや悲しみが生まれない、ストレスがなくなるのだ。
わからない、できない、期待しない。
ストレス断絶法である。
コメント