私たちの日本社会はキリスト教を基盤としているという事実
2022/2/2
私たちは、明治維新のときに、西洋文明を取り入れた。文明開花である。福沢諭吉、渋沢栄一といった人たちが、西洋から様々なことを学んで、日本に取り入れた。キリスト教という宗教自体は、持ち込まなかったが、キリスト教の文化は、付随して持ち込まざるを得なかった。
西洋文明は、キリスト教の思想に基づいてできた、仕組みや制度である。仕組みや制度を持ち込むということは、必然的に、その思想や文化も伴う。両者は、切っても切り離すことなどできないからだ。
誰との約束か?
もちろん、神との約束である。
それは、キリスト教だけでなく、ユダヤ教、イスラム教といった一神教のすべての根本思想である。神と人間の契約がすべての前提である。そして、その契約は人間にしか許されていない。
会社は法人である。会社は人格を持つ。否、人格を持たなければ、成立し得ないシステムなのだ。人でなければ、契約できないからだ。神と人間の縦の契約を、横にして人間と人間とのに当てはめて、人間同士の契約とした。だから、人しか契約ができない。会社は人でなければ、契約ができない。
会社は人だから、人間と同じように、税金を納めなければならない。税金は神との契約だからだ。「 何人も神との約束、つまり契約に背いてはならない 」というのが、一神教である、キリスト教である。そのキリスト教の文化圏である西洋から、私たちの祖先が、文明を輸入した。
会社という目に見えない形のない書類上だけの概念に、人間性を与えることで、社会を作ったのが、キリスト教である。
・会社が法人であることに疑問を持たない。
知識の積み重ねによって、急に紐解けるときがある、腑に落ちるときがくる、知識が教養に転化し、知恵という武器になった。
私は、世の中の仕組みを知らない、社会の成り立ちを知らない、そして、一生かけても、何もわからないままだ。だからと言って、わからないままではいられない。全部は、わからないけど、少しでも、世界を知りたい。転じて、それは、日本を知ること、日本人を知ること、日本人の思考の元を知ること、私を知ること。湯浅淳一を知ること。
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