ありたい姿なりたい姿
2021/7/13
「どうなりたいか?」ではなく、
「どうしたいか?」ではなく、
「どうありたいか?」
「どうしたいか?」ではなく、
「どうありたいか?」
未来ではなく、
今、現在に目を向ける。
今、ありたい姿でいることの是非である。
今を、生きる。
俺は、今を、生きている。
「こうありたい」とおもって「こうある」状態だ。
やりたいことなのか、自分に課したやらねばならないことなのか、もう、その線引きはわからないけど、毎日、何かをやっている。
何かを作り続けている。
それは、言葉であったり、映像だったりする。
多分、何かを作ることで、「自分の価値を表現しよう」としている。何も作らないと、自分を見失いそうになるんだろう。何もしていないと不安である。だから、今日も何かをする。
仕事
仕事は、お金を稼ぐことができ、社会的評価を得ることもでき、成長することができる。
だから、みんな仕事をする。今日も何かをする事を悩まないでいいように、仕事をする。
仕事を習慣化することで、仕事に慣れ、大変な仕事にも耐えられる。
仕事は、お金を稼ぐことができ、社会的評価を得ることもでき、成長することができる。
だから、みんな仕事をする。今日も何かをする事を悩まないでいいように、仕事をする。
仕事を習慣化することで、仕事に慣れ、大変な仕事にも耐えられる。
一方で、
俺は、今は、卵の殻の中にいる。
安全で快適だ。
しかし、ここに、成長はない。
このままでは、なりたい自分には、なれない。
経済的自由のためには、仕事をしてお金を稼ぐ必要がある。
卵の殻を割って、外に出る必要がある。
「こうありたい」という今があって、「こうなりたい」という未来がある。
このギャップを埋めるための行動が必要だ。
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