誰かを信じる

社会

誰かを信じる

2022/2/16

「 自分も愛せない人に、誰かを愛することなんてできない 」って言う。
・自分も信じられない人は、誰も信じられない。
・自分を信じられるからって、誰かを信じれるわけじゃない、自分しか信じられない人もいる。
・自分も、誰かも信じることが、世界で一番難しい。
 自分も、誰かも信じられたら、世界は平和である。

自分も、誰かも信じたのは、キリストである。

キリスト教をはじめとする一神教は「 人間は、そもそも間違いを犯してしまう 」という前提から、スタートとしている。

神は、人間を、そもそも間違える生き物として設計した
② 間違えないために、神が作った法を守ることを、神と約束した。
③ 神との約束を契約という。
④ 一神教を信仰する人たちにとって、契約は、絶対なのだ。

その神とのタテの契約を人間同士のヨコの契約に当てはめたものが、例えば、結婚である。
でも、人は不倫をするし、離婚をする。
人は間違いを犯す。

人なぜ、間違いを犯して、離婚したりするのか?

相手が信じられないからである。

相手のことを信じられるなら、結婚生活は続く、相手を信じられなくなったから、離婚するのだ。

  • 相手を信じられないのは、不倫だけじゃない。
  • 将来の不安は「 相手の未来を信じていない 」ということだ。

妻が家を欲しがるのは、相手の未来を信じていないから、将来の生活が不安だから、将来の安心を求めるからだ。

妻が子どもを欲しがるのは、相手の愛を信じていないから、愛が続くか不安だから、愛の結晶である子どもに、自分の愛の身代わりをさせるのだ。血がつながっていない他人である妻への愛は冷めても、血がつながった子どもへの愛は冷めないからだ。

・相手を信じていれば、相手に愛がある。
・二人だけでも、十分幸せなのだ。
二人以外の誰か ( 子ども )や、モノ ( 家 )や、他人 ( 愛人 )が必要ということは、相手を信じていないからだ。

戦争も、テロも、相手を信じていれば、起こらないのだ。

やはり、誰かを信じることは難しい。

誰かを信じていれば、所有の概念は、存在しない。
誰かから、共有してもらえばいいなら、所有してなくていい。
すべてモノが共有物なら、所有しなくていい。

・「自転車は早く移動するための手段」という前提をおく。
・自転車は街に溢れている。
シェアサイクリングというシステムは資本主義の成果物だ。そうではなくて、すべての人が、必要なときに、必要なときだけ自転車を使う。自分が使わないときは、誰かが使っている。誰かが使わないとき、自分が使っている。自転車は、みんなのもので、みんなで使う。自転車税があって、自転車は国がメンテナンスする。例えば、そういうことだ。

モノ不足の時代なら、所有に意味はあったかもしれない。
でも、モノ余りの時代には、所有に意味はなく、共有でコト足りる。

誰かを信じることができれば、所有もいらない。

「 空気は、なくならない 」と信じている。
空気を所有する人はいない。
空気は、みんなのものだ。

同じだ。

「 自転車は、なくならない 」と信じる。
自転車を所有する人はいない。
自転車は、みんなのものだ。

「 自転車は、なくならない 」と信じるためには、「 誰かを信じる 」という前提が必要だ。

私たちが、自転車を「 家族や友人に貸す 」のは「 家族や友人を信じている 」からだ。

そこに必要なのは「 自転車を貸す人を信じているかどうか 」だ。

誰かを、信じるのは、難しい。

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