誕生→創造→破壊
2022/4/3
私たちは、魚の頃、子どもをかわいがって、大切にしていなかった。
何千何万匹と生まれる子どもをかわいがることなんてできなかった。
逆だ。
子どもをかわいがるのではなく、淘汰を考えるのだ。
弱い子どもを間引きする。
そして、強い子どもを生かすようにするのが、生存戦略の最適解であった。
自分の子どもの中で、弱い個体を殺し強い個体だけを生存させた。
私たちが、子どもを愛おしみ慈しむのは、子どもを産める数が減ったからに過ぎない。
「 子どもを、殺すのではなく、愛でる 」という文化は、私たちが、長い進化の歴史の中で獲得した文化に過ぎない。
私たちの中にある常識は、進化の過程の中で培った概念に過ぎない。生物の本能である自己保存の連鎖の結果、現在の私たちが存在しているに過ぎない。
自己保存とは、自分のコピーである、自分の肉親を後世に残すことである。
性の多様化は、自己保存の連鎖を断ち切る。その連鎖は途絶えてしまうのか?
人工知能の発達によって、その連鎖は、現実の世界から、コンピュータのネットワークに移管していくのだろう。
私たちは、生命の誕生以来の、自己保存の法則すら、破壊しようとしている。肉体は、もはや、無用の長物になり、ネットワーク上に、意識だけがある世界になりうる。
有史以来、ファンタジーでしかなかった、人類の夢、不老不死の結論である。
人類が、求めていたのは、肉体からの解放であった。肉体があるから、機能が衰え、健康を損ない、病気になって死ぬ。肉体がなければ、肉体の損傷による、死はない。現在は、肉体の死 = 死と考えられているに過ぎない。肉体の死と共に、精神の死と捉えているに過ぎない。現代の技術では、肉体と精神が不可分だからだ。
意識の本質が解明され、肉体と精神が分離できるようになると、肉体の死と精神の死は、不可分ではなくなる。肉体の死の後は、コンピュータのネットワークの中で、精神だけ、意識だけの存在として、生存する。
私は、こうして、文章を書くような精神の遊びも好きだが、肉体の遊び、食事・酒・セックス・旅行なんかも好きだ。
生き物は、死というゴールに向かって、生きるように設計された存在である。誕生と破壊がセットになった創造物である。死がわからないから抗うのが、不老不死の概念だろう。死がわからないから抗うのではなく、死を最後の知として、人生の答えとして受け入れる。それが生き物としての責任であり、務めであるとおもう。
死んだ後「 いやー、長い映画だったね 」と、席を立つ。
人生はひとつの映画に過ぎないのかもしれない。
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