幸福という退屈
2021/11/6
いつもと同じような毎日だと、あっという間に日々が過ぎてしまう。気が付いたら、何日も、何ヶ月も過ぎてしまっていることなんて、ザラだ。
- 同じことの繰り返しの中に、変化はない。
- 変化を起こすには、まず止めること、始める前に止めること、止めて空いた時間に新しい何かを入れる。
とりあえず、書くのを抑えてみた。
モヤモヤが、止まらない。
なんだか、スッキリしない。
体調も、優れないような気がする。
なんだか、スッキリしない。
体調も、優れないような気がする。
書き出した。
心のモヤモヤがアウトプットされていく。
心が軽くなっていく。
スッキリしていく。
心が軽くなっていく。
スッキリしていく。
人と話すことをしなくなって、読んで書くことが日常になっていたようだ。
” 幸せ “ って、“「自分が、今、幸せである」ということを感じることだ “ と本に書いてあった。
だから、幸せを感じてみる。毎日の生活を幸せだとおもう。確かに、ここに幸せはある。日常の幸せに気付く。
一方で、変化のない幸せな日常に物足りなさを感じてしまう、私たちは、限界効用逓減という性質を備えているから、幸せは永続することはない。幸せを物足りなく感じてしまう、幸せは満足なはずなのに。
幸せは堪能してしまうと、幸せという退屈が待っている。
幸せになるためには、不幸が必要なのに、不幸を除外されると、幸せなはずなのに、幸せが当たり前になってしまう。
変化が必要なのだ。幸せな毎日に、刺激というスパイスを加えて変化を起こす。幸せな毎日に、不幸を、失敗を、精神的ダメージを与える。
私たちは、現状維持バイアスという性質があるから、変化を好まない、いつもと同じを好む。変化に、必要なのは、意志やエネルギーではない、環境であり、習慣である。
環境を変えることで、必然的に変化が起こる。環境の変化によって、習慣にも変化が起こる。
変化が必要な時期が来た、変化を求めている精神がある。変化した未来だけが持つ不確定性の渦の中に、一歩踏み出す勇気だ。
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