【本要約】脳と人工知能をつないだら、人間の能力はどこまで拡張できるのか
2022/5/12
拡張世界
人類は、言葉や文字や電気やインターネットなど、様々な道具を開発してきた。
こうした道具は、単に生活が便利になるだけでなく、人間の生活様式を、実質的に変えてきた。
役に立つ道具は、人間の「 在り方 」を変える力を持っている。
その道具は「 人間が発明したもの 」である。
人間は道具を開発し、自身を開拓してゆく生き物だ。他の生物たちは、あくまでもDNA変異によって、自然の力で進化する。人間は、自然界の進化ルールではなく、人間が編み出した道具という独自の方法で、自身の能力を進化させる力を備えている。
そうした長い人間開拓史の中でも、特に劇的な変化が、今起こりつつある。最近の新しい道具は、人間の生活だけでなく、人間の身体そのものを変える可能性がある。
従来の道具は、自動車にしても、飛行機にしても、ヒトの身体運動を超える能力を発揮することはあったが、それはあくまでも道具が優れているだけの話で、ヒトの身体そのものは変化がなかった。
これは人工知能についても同じだ。人工知能が秀でた性能を示しても、人間の能力そのものの限界が突破されたわけではない。
人は、どれほど賢明であっても、どれほど俊敏であっても、結局は、自身の身体という限界に制約された範囲の中で活動してきたに過ぎない。
「 身体 」という強烈な物理的制限から完全に解放されることはなかった。
この「 身体による拘束 」という大原則が、いま、破られようとしている。バイオハッキングやトランスヒューマンといった身体改造技術の萌芽である。
この研究分野では、新しいテクノロジーを用いて、生物学的な束縛から人を解き放とうとしている。不老不死であったり、自分のコピーの作成であったり、身体の乗り捨てであったりと、様々な話題が議論されている。
科学の力によって身体的規制が緩んだとき、人間の在り方が根源から転覆することは間違いない。
人は言葉や文字やインターネットといった高度な能力拡張ツールを開発してきた。
脳は、これらの道具を開発したり、使ったりすることを目的に、進化してきたわけではない。これらの道具は、あくまでも脳の副産物である。しかし、脳は、新しい道具を自らに取り込み、上手に活用している。脳の新しい使い方が開拓された。これらの道具がなかった古い時代では、そうした脳の能力は眠ったままだった。たまたま、そうした道具に出会う機会に恵まれたから、脳は存分にその性能を発揮できたまでのことだ。
未来についても同じことが言える。もしかしたら、今後、まだ見ぬ新しい道具が開発されれば、今はまだ眠っている、未開の能力が引き出されることだろう。
AIに脳を埋め込んだら何がおこる
脳をネット接続したら世界はどう見える
たくさんの脳を繋げたら心はどう変わる
私たちが日々感じる世界は、最終的には脳の活動に過ぎない。
人工知能の進歩は、私たちを時間や空間、身体といったあらゆる制約から解放し、人類の可能性を大きく拓いていく。
人工知能の進歩は、あらゆる人のスキルを、ブーストする。未来の世界は「 才能がない 」という理由で「 夢をあきらめる 」ことがないのかもしれない。さらに、自分が持たないスキルに対しても、自在にアクセスできて、利用できる。逆に自分のスキルをアップロードすることもできる。過去の偉人のスキルを借りることもできる。スキルや知識のライブラリが、人類全体の財産となる。
ジュール・ヴェルヌ
脳とAI融合の現在
脳活動を人工知能で読み取ることで、人が考えてることを直接に翻訳できるようになった。
人工知能に「 一般常識 」を学習させることは実は非常に困難である。どのようにして人工知能に人間が持つ一般常識を学ばせるのかは、今後の人工知能研究における大きな課題の一つである。
fMRIによって、人の見ている夢を読み取れるようになった。
将来、頭の中にあるイメージをそのまま言語化することなく他人に伝えられるようになるかもしれない。
人工眼球が開発された、人工眼球と脳をつなぐ人工的な視神経の開発が進めば、目が見えるようになる。
カント
「 意識 」についての最新理論
意識とは何か?
科学とは、外界の対象物を ” 客観的 ” に観察し、分析することで世界を理解しようとする営みである。科学においては ” 客観的 ” に観察・分析することが重要なので、仮に「 私は、東よりも西の方が好きだから、私にとって太陽は西から昇る 」などと主張しても、それは主観的な意見に過ぎないため科学として認められることはない。
しかしながら「 意識 」はどうしようもなく主観的なものだ。「 私は今リンゴのことを考えている 」と言われたら、周りの人がそれを否定することはできない。
意識を生み出しているのは脳であり、脳はタンパク質や糖質、脂質から構成された物理的な物質である。また、一つの神経細胞がどのように活動するかは、数式やシミュレーションで十分に再現することができる。
脳を構成している物理的な物質や最小単位の神経細胞についてはかなりのことが分かっているにも関わらず、そのような物理的物質たる脳からいったいどうやって主観的な意識が現れるのかはさっぱり分からない。意識研究においては、このような難問が大きく立ちはだかっており、しばしば「 意識のハードプロブレム 」と表現される。
対象を客観的な手法で扱う科学にとって、意識は「 極めて相性が悪い 」と言っても過言ではなかった。ここで「 過言ではなかった 」と過去形で表現しているのは、近年、意識のハードプロブレムの解決を期待される新たな理論が提唱されているからだ。
どうすれば、意識を客観的な指標で測定できるようになるのか?
この定義は「 公理 」と呼ばれ「 その他の定理を導くための前提として導入される仮定 」である。
公理
私たちが学校で学んできた数学にも公理はいくつもある。
平行でない二つの異なる直線はただ一点で交わる ( 平行な二つの直線は交わらない )。
公理は、何か他の定理から導かれるわけではなく、ユークリッドという人が「 私が作る学問ではそういうことにする 」と決めたものである。すなわち、この公理はあくまでもユークリッドが定めたものに過ぎず、これを前提としない非ユークリッド幾何学という学問も存在する。
私たちが習った数学は「 ユークリッドが考えた公理にもとづく学問 」だった。
公理とは、その学問を行うにあたり、誰かが「 そういうものとする 」とした取り決めだ。
統合情報理論
公理から始まった統合情報理論が意識の理論として認められるためには、意識に関する様々な現象をきちんと説明できなければならない。
例えば「 脳には意識が宿る 」「 肝臓には意識が宿らない 」「 デジタルカメラには意識が宿らない 」などは多くの人が共感する。これらについて、統合情報理論は正しく答えることができるのか?
統合情報理論では「 統合情報量φという値を計算し、φの値が大きいものに意識が宿る 」と定義する。このφという値は数学的に計算することができるため、主観的な要素が入り込む余地はなく、意識を客観的な科学の土壌で扱うことができるようになる。
- 人工知能に意識は宿るのか?
「 少なくとも現在の人工知能に意識は宿らない 」
2021年現在において、人工知能はあくまでもコンピューター上のプログラムに過ぎず、コンピューターは最終的にトランジスタやダイオードという独立した構成要素に分解される。「 トランジスタやダイオードという独立した構成要素が複数集まっている 」というこの状況は、先ほど見た肝臓やデジタルカメラと本質的に変わらない。
統合情報理論が意識の理論として本当に正しいかどうかは、現時点では誰にも分からない。
科学とは常にそういうものだ。誰かが提唱した理論を様々な研究者がいろんな条件で検証していくことで、結果的に理論として認められるのか、理論の修正が行われるのか、はたまた修正しようのない欠点が見つかり理論として否定されるのかが決まる。
もし、統合情報理論の正しさが証明され、意識の謎が解けたとしたら…。もしかしたら、私たちの意識をコンピューターの中に「 アップロード 」することで、永遠に生き続けることができるようになるかもしれない。
・人工知能は膨大なデータを元に計算をして機会的に処理しているに過ぎない。
- 意味の理解とは?
- この現実世界と言語との対応表を学習することである。
- 現実世界と言語の対応表を、人間は五感や身体を使うことで学んでいく。
人工知能に意味を理解させるためには、五感や身体を持った人間のような人工知能の開発が必要だという意見もある。
「 意味を理解する人工知能 」を作るという点がディープラーニングを超える次世代の人工知能を作る上でキーポイントになることは間違いない。意味を理解する人工知能が誕生したまさにその時「 人工知能が人間を上回る瞬間 」であるシンギュラリティを迎えるのかもしれない。
私たちが感じる世界は究極的には脳活動が作り出したものに過ぎない。
将来的に脳についての理解がもっともっと進めば、私たちは自らが望む「 世界 」そのものを自在に作り出すことができるようになるかもしれない。
脳とAI融合の未来
・コミュニケーション力
・アートを創り出す能力
「 これまでの科学的発見の多くはセレンディピティ ( 予想外の発見 ) や幸運な偶然、科学的な直感によって生み出されているものが多く、誤解を恐れず言えば運任せにすぎない 」
たしかに、現代の科学は運に左右される部分も確実に存在し、不確定性が極めて大きい。
運に左右されることは、裏を返せば、試行回数を増やせば新たな科学的発見が生まれる可能性も高くなる。
試行回数を増やすことは人工知能の最も得意分野だ。人間が100年かかる計算を、人工知能が1秒もかからず終えてしまう。
人工知能が膨大な試行回数を活かしてひたすらアイディアを提案してくれることで、新たな科学的発見が生まれる可能性は飛躍的に高まるはずだ。従来の科学が「 仮説を立てて検証する 」というスタイルをとっていた理由には、実験を行える時間や資源が現実的に限られていたことも関係している。
ここまでは、あくまでも「 人工知能に手助けしてもらい人間が新たな科学的発見をする 」ことを前提としてきた。さらにその先には「 人工知能自身が新たな科学的発見をする 」ことが当たり前になる時代が来るかもしれない。
人工知能が新たな科学的発見をすることは既に現実になりつつある。
もちろん現時点でAIロボットが扱える科学の領域はごく一部に過ぎないが、将来的には人工知能がありとあらゆる分野で新たな科学的発見を次々と生み出す時代が来るかもしれない。
現代では、人工知能は私たちについて誰よりも深く知るようになっており、いずれは私たち自身よりも、自分のことを深く知る存在になるだろう。
ユヴァル・ノア・ハラリ
人工知能は遠からず、私たちのあらゆる希望を叶えてくれる巫女のような存在になるだろう。こういった経験を積み重ねるうちに、私たちは自分自身の頭で考えた判断よりも、神の巫女である人工知能の判断をより信頼するようになる可能性は十分にある。
いずれは「 大学で何を学ぶべきか 」「 どの会社に就職すべきか 」「 誰と結婚すべきか 」など、人生を大きく左右する選択についても、人工知能が膨大なデータをもとに提案してくれるようになるだろう。
今の私たちにとってはディストピアにしか思えない世界だが、数十年後には「 自分の頭で判断するよりも ” わたし ” のことをずっと深く知っている人工知能の判断に任せた方が良い 」と誰もが考えるようになる可能性は否定できない。
誰よりも信頼できる人生のパートナーである。こうなってしまうと、人間は人工知能の指示に従っているだけで「 人工知能が君主へと変わる 」状態だ。
このような未来を恐ろしく思う一方で「 自分よりも自分のことを深く知る人工知能 」に救われる人も数多く現れることは間違いない。「 自分のことを自分よりも深く知る人工知能 」の使い方さえ間違えなければ、人類は今よりもずっと幸せになることができるかもしれない。
人工知能は決して「 絶対に従わなければならない君主 」ではなく「 より良い未来の可能性を提示してくれて、私たちは自らの意思で提案を拒否することもできる 」のであれば、これほど頼りになる存在はない。
人工知能が人類にとって希望の巫女になるのか絶望の君主になるのかは、私たち人類の手に委ねられている。
高次元科学
ある事柄を説明するためには、必要以上に多くの仮定をするべきではない
科学における、なるべく少ない原理だけで自然界を説明しよう。
科学者には万有引力の法則のように多くの現象を説明できるシンプルな法則に心惹かれる。
オッサムのカミソリは、人間の認知限界から生まれる。自然界をなるべくシンプルに説明することを良しとするのは、人間の脳に限界があるからだ。
人間が直感的に「 理解した 」と感じることができる範囲では、脳の限界によって制限されており、そのため、直観的に理解しやすいシンプルな法則が好まれた。
人工知能の進歩によって状況が変化した。
人工知能は、数百億や数千億という膨大な数の変数を活用して世界をモデル化する。「 大量の変数を用いて世界をモデル化する科学のあり方 」を「 高次元科学 」という。
人工知能がなぜその答えを導き出したのかが、人間には理解できない。
- なぜこのような問題が生じるのか?
一つには、人工知能が扱う変数の数が膨大すぎるため、人間がその計算過程を直観的に理解できないことから生じている。
② 人工知能は、人間が理解できないとしても、この世界を正しくモデル化することが可能だ。
③ 人工知能は、理解を経ることなく、人間の科学を超えてしまうかもしれない。
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