脳内幸福論

幸福

脳内幸福論

2022/3/16

日向ぼっことプール

日向ぼっこは気持ちがいい。天気がいい日に、ベランダに出て日向ぼっこをする。日向ぼっこは健康にもいい。食物から得られない栄養素ビタミンD、病気になりにくくするビタミンDがつくられる。

水泳は健康にいい。私たちは祖先は海から生まれた。その証拠に、私たちの体内の60%を占める水分の塩分濃度は、太古の海水の塩分濃度と同じである。太古の生命の息吹が、私たちの細胞の中にも残っている。水の中は、自分の中の原点への回帰である。

【 水泳のメリット 】
・水泳は運動しても汗もかかない
・水泳した日は、シャワー浴びてるので、風呂をスキップできる
・何より、プールの中に入ってるだけで、気持ちいい
・運動場での体育の後より、水泳の後の方が眠くなるように、水泳は陸上での運動より、運動量が多いはず

渋谷のプールには、メインプールとサブプールがある。

メインプールでの水泳の休憩中に、窓際にあるサブプールには、日が当たっていることに気付いた。
気持ち良さそうなので、私はサブプールに入って、日向ぼっこをしてみた。
あまりに気持ちいいので、私はプールの角に腕をかけて、体の力を抜いた。
日の光を浴びるため、目を閉じた。

想像力

私は、都会のど真ん中の渋谷で、一人、温泉の露天風呂に来ていた。

・全身を伸ばせるので、家の狭い風呂ではない。
・塩素の香りは、硫黄の香り。
・日の光は室内ではなく、もはや露天同様。
・温泉の温度の低さは、日の光の力で補う。

私が、勝手に、脳内で、温泉の露天風呂を想像しているに過ぎない。

現実は、渋谷のプールである。

私が「 ここは、温泉の露天風呂だ 」と言ったら頭のおかしいやつだ。

私は、脳内で、温泉を想像して、露天風呂の気分を味わっている。これも十分頭がおかしいやつだが、私の脳内は誰にも見えない、私が勝手に何を想像しようが私の勝手である。私が、渋谷のプールに入りながら、温泉の露天風呂の気分になって、幸福になっても、私の勝手である。私の想像や幸福は、私が自分の脳内で、遊ぶものである。

私の幸福は、私が決めていいし、私の幸福は、想像でもいい、頭の中でもいい。
  • 幸福は身近にあるのだ。
  • 私たちは、目の前にある幸福に気付いていないだけだ。
  • 湯浅くらい、幸福のプロになると、想像だけで温泉の露天風呂を創造して、勝手に幸福を享受できる。

過去の偉人が幸福を探して来て「 幸福とはこうだ 」とか言ってるけど、幸福は定義できていないじゃないか?

万人に共通の幸福なんて定義できないからだ。

幸福はなるものではない、気付くものなのだ。

もしかしたら、幸福は、気付くことでもないかもれない、幸福は、想像するものなのかもしれない。幸福は、目の前という視覚ですら捉えられるものではなく、脳内に存在するものであるかもしれない。

脳内革命

現実に、
コンビニでいつでも買えるカップ麺は、砂漠で食ったら極上だ。カップ麺という物質は変わらない。
ただ、食べる場所で、実際に味が変わるのだ。
一人で家で食う超高級肉より、友達と食べる安い肉のBBQの方が美味しい。
ただ、誰と食べるかで、実際に味が変わるのだ。
  • 味を判断しているのは、脳なのだ。物質の問題ではない。
  • 脳が、現実の物質に関係なく、味を決めるのだ。
脳は、現実にある物質ですら、変えるのだ。

この脳の機能を使わない手はない。

  • 現実にある物質ですら変える脳である。
  • 想像とか、幸福という概念なんて、お茶の子さいさいである。

そのためには、普段から、自分の幸福 = 快の情報をストックしておくことだ。

私の脳は「 日向ぼっこ 」「 温泉 」「 露天風呂 」をストックしていたようだ。
知らないうちに、渋谷のプールで、脳が勝手にそれらを組み合わせた。
「 なんかあっち気持ち良さそうだなー 」と直観に従って、サブプールに入ってみたら、あら不思議。
温泉の露天風呂の気分が味わえて、幸福になった。

脳内幸福論の誕生である。

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