資本論×AI
2021/6/22
資本論

マルクスの資本論は、
『世の中のモノはすべて価格がついている商品である。商品を研究することで世の中がわかるかもしれない。』
という仮説からスタートした。
社会は商品で成り立っていて、商品には価値がある。
AI
世の中のモノはすべて、数字で表現できるモノと、数字で表現できないモノで、成り立っている。
- 数字で表現できるモノは、いづれ、Aiに置き換えられて、淘汰されていく。
- 数字で表現できないモノは、Aiに置き換えられない。
今は、数字で表現できないモノも、やがて、数字で表現されていくはずだ。
数字で置き換えられないと、Aiに置き換えられないからだ。
『最も、数字で表現が難しいモノが、最後まで、Aiができないモノが、人間にとっての価値があるモノだ』
と仮定して、世界を見ていく。
- 目に見えるモノは、そもそも、物質化している時点で、数値化が容易である。
- 目に見えないモノを数値化していく。
目に見えないモノは、概念である。
概念を数値化していくことが、最も難しい。
人間にとって価値のありそうな概念について、思考する。
健康
健康は、人によって、その状態は異なる。年齢によっても異なる。一方で、健康診断の数値によって、健康状態を判断することができる。だから、健康は、数値化できる部分もある。健康に関しては、数値化しやすい部分が多くITとの親和性が高い。RPGのHPのように、ゲームの体力ゲージのように、健康度70%という風に、表現されていくかもしれない。
「コレを食べて、このくらい運動しろ」というAiの指令に従うだけで、健康度を上げるようになるはずだ。
健康は、不確定な未来から、予測できる未来へと変化していく。
時間
時間は、数値化されている。
しかし、時間が有限で貴重なのは、人に命があるからだ。
Aiにとっては、時間は、処理速度であり、「いかに高速化するか」という指標の一つでしかない。
時間が有限というのは、生命体にだけに依存する。Aiには無関係である。
- 人間にとっての時間は、命であり、寿命の長さを指す。
- Aiにとっての時間は、処理速度であり、どれだけ速いかを指す。
その個体の持つ機能によって、時間の定義が全く異なってしまう。時間という同じ数値だとしても、その成り立ちが異なるのだから、それは、一様に評価できない。
時間は数値化されているけど、数値自体の価値が異なるので、数値の意味がない。
幸福
幸福は、人によって、様々であろう。
お金
お金があれば、幸福だと考えるもしれない。しかし、多くのお金を稼ぐためには、いろんなことを犠牲にしなければならない。お金持ちが、全員、幸福でないのは、お金と引き換えに、多くの犠牲を払ったからだ。お金があれば幸福かもしれないが、お金と引き換えに失う幸福もあるということだ。
- お金は数値化できる。
- お金で得られる幸福もあれば、お金と引き換えに失う幸福もある。
- 幸福は人それぞれだから、数値化できない。
- 人の数だけ幸福の数があるから、数値化に意味がない。
愛
愛は、人によって様々だろうが、お金ほど、人による差異はなさそうである。
愛をカテゴライズしていく。
いろんな愛があるだろうが、「家族」と「恋人」に、フォーカスする。
家族
家族への愛は、無償の愛である。母が赤ちゃんに対する愛のような形の愛である。
見返りを求めない一方向の愛である。
100%無償である。
赤ちゃんから母親への愛もあるはずだ。
赤ちゃんは、父親より母親を愛している。
恋人
恋人への愛は、相互の愛である。恋人と、愛し愛される関係を望む。
しかし、それは、50 : 50 であることはないだろう。どちらかに比重が置かれる。
- 90 : 10 ならわかりやすい。
- 49 : 51 なら 50 : 50 と見なしてもいい。
そもそも、どちらがどのくらい愛してるかなんてモノは、比べようようもない。そして、その数値化は、難しい。もし、数値化できたら、みんな 50 : 50 の愛を望むだろうから、愛は壊れるだろう。そういう意味では、数値化してはいけない。
愛は、数値化できるどころか、数値化してはいけない。
まとめ
- 健康は数値化できそう。
- 時間は数値化されているけど、生命の有無によって、時間の価値は異なるから、数値の意味がない。
- お金は、数値化できるが、幸福は、人それぞれだから、数値化できないし、数値化に意味がない。
- 愛は数値化してはいけない。
人間にとって価値のありそうな概念を数値化してみたら、その数値自体の意味が損なわれた。
これから、Aiは、何を数値化していくのだろうか?
その先の未来に何が待っているのか?
命も幸福も愛も数値化されていく未来が来るのだろうか?
コメント