子どもの養育についての思考

幸福

子どもの養育についての思考

2021/3/13

子どもはゲーム

子どもの養育は、人生で1番お金が要する。そして、どれくらいでもお金を注ぎ込むことができる。ある意味、無限ガチャである。その意味でいうと、子どもの養育は、ゲームである。

人はなんでゲームをするのか?

楽しいからだ。

楽しいから、ずっとやり続けられる。時には、寝食を忘れてハマる。そして、お金を払ってガチャをする。

楽しいことに、人は、時間も、お金も使う。
そして、時には、生命の欲求である、寝食を超えてしまう。

楽しいことは、無限のエネルギーを放つ。

人はなんで子どもを養育するのか?

本能もある。子ども養育するという本能がなければ、人類はこれほどまでに繁栄していない。でも、子どもの養育の本質は、楽しいからだ。

子どもは、成長する。日々、変化する。その変化が楽しいのだ。

大人は、自分を変化させることが、難しいと知っている。自分が変化すれば、本当はそれが1番楽しいはずだ。

子どもの変化は、肉体的な成長であり、言語化能力の発達であり、社会性の獲得である。

大人の変化とは、新しい価値観の受容によって起こる。

自分を変化させるのが難しいから、目の前の自分の子どもの変化を楽しむ。そのために、子どもを養育する、本能的に。

だから、結婚したい。子どもの養育のために、本能的に。

結婚には、非孤独、安定や安心という価値観もあるだろうが。

ゲームオーバー

子どもの養育には、ゲーオオーバーがあることからも、ゲームと言える。

父親は、母親と離婚したら、ゲームオーバーである。

子どもの養育というゲームをするには、その前に、結婚、妊娠、出産というハードなゲームをクリアしなけばならない。

新しい価値観は、ゲームに興味がない人、ゲームをしない人もいる。

多様性の受容は、社会の必然である。

一方で、ゲームに興味がない人や、ゲームをしない人は、ゲームによる社会の恩恵の拒否は必然であろう。

多様性の受容と拒否

LGBTなのも、結婚しないのも、子どもを作らないのも、自分たちの価値観だから、社会に受容されるべきだ。その意見は、もちろん、正しい。

年金というシステムは、「若い世代が老いた世代を支える」という社会的なシステムである。

社会に自分の価値観の受容を促すならば、その社会に背いていることも認識しなければならない。子どもを作らないのは、「若い世代を輩出しない」ということである。

彼らは、自分が年老いた時に、きちんと、年金の受取りを拒否できるのか?それとも、吐いたツバを飲み込んで、年金を受け取ってしまうのだろうか?

誰だって、自由に生きる権利はある。権利と義務は表裏一体である。権利を主張するならば、義務も負わねばならないのは、必然だ。

自由にはリスクがつきまとう。リスクを承知で、自由をうたわなえばならない。

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