快と不快

悩み

快と不快

2021/1/25

快と不快の定義

生きていく上で、快と不快がある。そして、それは、人それぞれ違う。人それぞれの価値観によって、形成されている。

快とは、自分にとっていいことである。ポジティブなことである。逆に、不快とは、自分にとって嫌なことである。ネガティブなことである。

庶民とお金持ち

例えば、自分の好きなモノを買うために、お金を使うことは、快である。みんな好きなモノを手に入れるために、働いている。そう、多くの人にとって、働くことは、不快である。働かなくても生きていけるなら、働きたくないと思っている多くの人がいる。

湯浅を含む多くの庶民は、労働して生産したモノや、時間の対価で、お金を稼ぐ。だから、不快な状態である。多くの庶民は、お金を使う快の状態のために、お金を稼ぐ不快の状態を受け入れている。

一部で、働くことが楽しいという価値観を持った、経営者やお金持ちは、実在する。働くことが楽しい人は、好きなことをやってるから、遊ぶように働いているから、全然、苦にならない、快の状態である。

不快の定義

例えば、家事は、掃除、洗濯、料理があるとして、湯浅は、掃除や洗濯は不快で、料理は快である。それは、湯浅の価値観では、掃除や洗濯は、誰がやっても、そんなに結果が変わらない、非クリエイティブなことであり、料理は、人によって全然変わる、クリエィティブなことであるからだ。だから、掃除は、ルンバに任せてるし、洗濯は、ドラム式洗濯機に任せてる。

でも、人によっては、掃除や洗濯が快な人もいるし、料理が不快な人もいる。価値観は、人によって、様々であるから、働くことが快という人がいても、不思議ではない。

不快を快に転換

不快の状態を快の状態に変えることはできない。もちろん自分の価値観を変えればいいが、それは、簡単ではない。

一方で、不快と快を併せることで、不快を許容できることもある。

例えば、勉強がしたくないとして、勉強が終わった後に、ゲームをする。
例えば、風呂に入りたくないとして、風呂から上がったら、ビールを呑む。
不快の先に、快を、置くことで、不快へのハードルを下げる。快へのモチベーション上に、不快を置くことで、不快を不快と捉えないように意識付ける。

例えば、歯と歯の間を糸(デンタルフロス)で掃除することは、意外と面倒くさくて、不快である。しかし、歯にモノが詰まった時に、爪楊枝ではなく、フロスを使って取る。ついでに歯を全部フロスで掃除する。、歯にモノを挟まった不快な状態から、歯がスッキリした快の状態になる。
歯にモノが挟まった心地悪い不快と、フロスして掃除する面倒な不快を併せて、歯がスッキリしたという快にする。

不快 + 不快 → 快

そうすることで、不快なフロスで掃除をすると、快になるという意識が脳に刻まれる。それを繰り返していくうちに、脳が慣れ、歯磨きのように習慣化される。習慣化されてしまえば、もう、そこに思考は入り込まない。不快だったフロスで掃除について、思考することはなくなる。快でも、不快でもない状態になる。快でも、不快でもない状態が、習慣である。

働くという不快も、毎日の習慣による、快でも不快でもなくなったり、未来に得られる金銭的対価によって、不快を受け入れられる。

そういう風に、自分でも気付かないうちに、快と不快を併せることで、モノゴトを調整している一面がある。

だから、意識的に、快と不快を併せることで、不快なことを簡単にとまではいかないが、不快なことのハードルを下げることは可能である。

面倒くさいな、やりたくないなという不快があれば、気持ちいい嬉しい楽しいといった快を併せることで、問題を解決できる。

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