常識とお金と不老不死
2020/12/1
常識とお金
常識とは、その時代のルールであって、絶対的なものではない。
マスクが常識の現代でも、未来になると、「そんな時代もあったなー」となるはずだ。
士農工商という時代があった、ほとんどの人は、農民であり、商人は1番身分が低いとされていた。
その当時、1番、お金を持っていたのは、商人である。お金があると、いい暮らしができるから、商人はいい暮らしをしていた。
でも、それだと、都合が悪いので、国は、商人の身分を1番下にして、「お金儲けはいけない」「清貧こそが素晴らしい」という価値観を植え付けた。
お金が、人々の人生の基盤という時代も、もしかしたら、変化するかもしれない。
お金は、現金という物質的なものから、電子マネー、デジタルマネーへと変化している。それは、即ち、物質的なものから、ただの数値の羅列に変化している。その数値を増やすためには、労働が必要だが、FXのようなゲーム感覚で増やすこともできる。労働で稼ごうが、FXで儲けようが、投資で利益を得ようが、1万円の価値は、変わらない。
数値の増やし方は様々だし、数値を増やすことは、もちろん簡単ではない。でも、その数値の増やし方は、多様化している。アプリで大きく当てるもよし、YouTubeで大きく当てるもよし、会社に所属しなくても、個人で大きく当てることが容易になった時代である。
お金という数値を増やすことは、困難ではあるが、現代においては、お金を増やす方法は、様々であるから、お金の価値は、相対的に低下してきている。それは、より、ただの数値に近づいているという証左である。
お金と不老不死
お金がただの数値の羅列になるまでには、もう少し、時間がかかる。
それは、僕たちが肉体を持っているからである。僕たちは、意識と肉体を持っている。
例えば、肉体から「栄養足りないよー」って伝令が来て、「お腹が空いた」という意識になって、食事をする。
例えば、意識が「仕事へ行く」って伝令をしたら、目覚ましを忘れてても、自然に、肉体が「起きる」ということもある。
そうやって、意識と肉体は、相互作用によって、補い合っている。
人間の永遠のテーマである『不老不死』について、思考する。それは、不可能ではない。
人間は、意識と肉体を持っている。肉体は衰えて、動かなくなってしまうから、人間は死ぬ。人間の死とは、肉体的な死である。では、意識は、どうなるのかというと、意識は衰えないから、肉体という箱を失った存在となる。意識がどこへ行くのかはわからない。
しかし、必要なのは、衰える肉体ではなく、人生を過ごして来た経験を持つ意識である。
ここで、肉体の持つ負について確認する。
意識と肉体と考えたときに、肉体があるから、食事する、睡眠する、セックスをする、病気になる、死ぬ。
肉体があるからこそ、様々な喜びを享受できて、楽しいのだが、一方で、様々な不幸も、また、享受することになる。
でも、例えば、人間の意識が、肉体を持たずに、インターネット上に、存在するとしたら、どうなるのか?
『不老不死』である。
肉体という箱の限界が来た時に、その意識だけを、全てが繋がった世界、インターネット上に、置くことができれば、死という概念から解放される。
意識だけが、インターネットにつながる世界とは、どういうことなのか?
意識がデジタル化するということで、意識が0と1で表現できるデータになるということ。
『不老不死』とは、人間がデータになる未来 である。
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