【本要約感想】完全宗教マニュアル

宗教

【本要約感想】完全宗教マニュアル

2021/2/9

■宗教という最強のビジネスモデル

宗教は、日本では、臭いモノにフタをする感覚かもしれない。わからないモノに宗教と名付けるかもしれない。日本人は、宗教ほと優れたビジネスは、存在しないという点に気付かなければならない。

そして、無宗教の国、日本でも、その優れたビジネスモデルが実践されて広がっているように、人は、宗教もしくは宗教的ビジネスに
のめり込む性質がある。

■宗教と経済

宗教を思想という捉え方をするならば、そこに経済的要素が入り込む余地はない。思想は、目に見えない。目に見えないモノを売買するのは難しい。

最近は、あんまり見なくなったが、昔は、ビジネスホテルには、必ずと言っていいほど、引出しに聖書が入っていた。その聖書は、キリスト教の布教のために、日本国際ギデオン協会から、無償で配布されている。

聖書という目に見える形であっても、無償である。(聖書の印刷や流通には経済的要素が介入しているが、それは宗教の思想とは、関連がない。)

でも、実際には、宗教は、国を超え、世界最大コミュニティを持つ。そこには、当然、経済的要素が入り込む。サクラダファミリアなんて、莫大な寄付と無償で働く信者なしでは、建築に100年以上もかかる建物なんて、存在し得ない。

宗教という思想もコミュニティを持てば、コミュニティの中に、経済圏が生まれる。世界最大のコミュニティが2000年以上続いているのだ。これほどの経済圏は、存在し得ない。

今をときめく、GAFAM、Teslaだって、ここ数十年の話である。この変化の激しい時代に、2000年後にも、これらの会社が存続しているとは考えられない。

こんな変化の激しい時代においても、ビクともしない存在が、宗教である。思想という目に見えないものが商品であるビジネスモデルこそ、人類史上最大の発明である。

■宗教と現代ビジネス

オンラインサロン

宗教的思想を、実際に、現代のビジネスに転化させているのが、オンラインサロンである。

サロンのオーナーの思想に共感した信者から、寄付を集い、その寄付を使って、サロンのオーナーの思想を実現する。

ネットワークビジネス

ネットワークビジネスも、宗教的要素を組み込んだビジネスである。

ただ、宗教的要素である「いいモノだから、みんなに教えてあげたい!」ということと「みんなに広めれば広めるほど、自分に経済的メリットがある」ということの差がある。

商品を「自分がいいと思うから、宣伝するのか」ということと「商品卸会社から広告料を貰って宣伝するのか」という差がある。

ネットで検索すれば本当がわかる世界。どちらがリアルかは明白である。否、ネットで検索しない時代、そのずっともっと昔から変わらない宗教の本質は、無償という価値観である。宗教に経済的要素があれば、これほどまでに永らえていない。

労働と社会貢献

例えば、こんな実験がある。

複数の弁護士に、「30ドルで、生活困窮者の相談に乗ってくれ」と頼んだら、断られたが、「無料で、生活困窮者の相談に乗ってくれ」と頼んだら、多数の弁護士が了承した。
30ドルという価格を示されると、労働とみなして、経済的市場との比較をする。一方で、無料という価格だと、労働ではなく、社会貢献とみなす。人は、お金のためより社会のために働くこともある。

人は社会的な生き物だから、その本質に抗えない。「誰かにありがとう」って言われたい。人の本質は、お金ではないのだ。その本質に根ざしたビジネスモデルだからこそ、宗教はこんなにも永く繁栄してきた。

その本質に気付いてたかどうかはわからないが、キリストや、ムハンマドや、釈迦は、人類史以来のTOP3ビジネスマンであることは間違いない。しかも、商品は、目に見えない思想。否、思想だからこそ、普遍の真実だからこそ2000年もの時を超えた。

■宗教の思想の本質

宗教というビジネスの商品は、思想である。

では、思想とは何か?

思想の前に「人が1番恐れるモノは何か?」について思考しなければならない。人が生きいてる以上避けられない恐怖は、「人は必ず死ぬ」ということである。人類史上、死ななかった人はいない。キリストも、ムハンマドも、釈迦も死んだ。

『死ぬ』ということは、どんなことかわからない。これまでに死んだことがある人がいないんだから。でも、生きている人全員に必ず『死』は、やってくる。

だから、『死』について『死後』について知りたいという、全人類の欲求について、解答が必要である。

それが、宗教の思想である。

宗教の思想は、死後の世界を現世に転換したものである。「死後の幸福のためには、現世で何をすればいいか?」ということである。現世で、お祈りしたり、断食したり、修行したりして、死後の幸福を祈る。それが宗教であり、宗教の思想である。

宗教の思想は、『死』という、答えのない概念に対して、不安に思う人々に対しての救済である。

でも、実際に死んだことある人はいないのだから、救済措置という方が正しい。

救済ではなく、救済措置である。

死んだことないから、本当に救済できるかはわからないけど、多分、こうすればいいよという救済措置である。

■未来の幸福

死後とか、よくわからないから、とりあえず、「これから先、幸福になりたいんだけど」って、湯浅も思う。

今から、2000年続くビジネスも目には見えない。湯浅がおもうに、それは、時間である。時間を節約という概念ではなく、時間を拡大するとか、時空を歪ませるような概念である。時間の拡張は、命の拡張である。

人は、肉体を持っている以上は、必ず死ぬ。肉体は消耗品だからだ。しかし、意識は消耗品でないから、ずっと使える。

意識だけをインターネットの世界と繋げると、事実上、永遠の命を手に入れられる。実際的には、脳の仕組みが、明らかにならなければならない。そして、肉体の死後、脳という物理的な実態をインターネットに繋げる必要がある。

意識はあっても、肉体がないから、美味しい食事をとったり、酒を呑んだり、セックスしたりできない。モチロン、旅もできない。

意識だけがインターネットの世界にある永遠の命は、人によっては、いい世界かもしれないが、多くの人にとっては、つまらないものになるかもしれない。肉体があるからこそ、楽しめることが多いからだ。呑み会こそ、その典型である。呑み会の空間と、酒と、料理と人を味わう世界は、インターネットの世界での実現は、もっと遠い未来に違いない。

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