価値という概念
2022/4/3
※価値とは必ずしも、金銭を意味しない。
- 1人が評価したモノには1人分の価値しかない。
- 5人が評価したモノには5人分の価値しかない。
- 100人が評価したモノには100人分の価値がある。
- みんなが評価したモノには、価値がある。
金銭を媒介とした商品の交換価値は、評価する人数による。
モノの価値は、そのモノの価値を評価する人教で決まる。
評価する人数が、多ければ価値が生まれる。
価値があれば、換金することも容易だ。
人は希少なものに価値があると評価する。
石に価値になく、金 ( ゴールド ) に価値がある
→ 商品の流通量 ≒ 金銭的価値
人々が評価すれば価値があり、人々が評価しなければ価値がない。
・古いものに価値はないが、アンティークには価値がある。
・鉛筆の芯 ( 炭素C ) に価値はないが、ダイヤモンド ( 炭素C ) には価値がある。
価値の評価基準を〜主義と表現する。
価値の評価基準が金銭 = 資本主義
価値の評価基準が平等 = 共産主義
価値の評価基準が規制 = 自由主義
他者が価値を見出していなくて、自分だけが、その価値を見出したモノは交換価値はない。
※私の子どもの頃の写真は、私にしか価値がない。誰も交換したがらないから、交換価値はない。
交換価値がないので、他者からは「 意味がないモノ 」と見なされる。
何かしらのモノに自分だけが「 意味がある 」と価値を見出すと、社会では生きやすい。
※子どものように、その辺に落ちいている石とか、葉っぱとか、ドングリとか
ドングリ集めが趣味ならば、お金がかからないから、社会で生きやすい。
みんなが「 価値ある 」と思っているモノを、みんなが欲しがる。
- お金は、国という権威によって保証されているから、価値があり、みんなが欲しがる。
- ヴィトン・プラダ・エルメスなどは、ブランドという権威によって保証されているから、価値があり、みんなが欲しがる。
- ベンツ・ポルシェ・BMWなどは、外車 ( ブランド ) という権威によって保証されているから、価値があり、みんなが欲しがる。
神に価値がある時代もあった。
人民に価値がある時代もあった。
・モノに価値がある時代
・フォロワー数に価値がある時代
フォロワー数に価値がある現代では、価値は、評価人数として可視化されている。金銭も、モノも、はっきりした数値としては、表現されていなかった。
もちろん、おおよその金額は数値化されたとしても、それが借金かどうかはわからなかった。だから、借金をして、ブランド品や外車を買って、見栄を張ることもできた。
しかし、フォロワー数は、明確に数値化されている。偽ることはできない。見栄を張ることができない。
史上初めて、誰しもが平等な条件で、明確に数値で順位付けられる社会が誕生した。
もちろん、現在では、その社会に参加しない人々が多数であろう。しかし、パラダイムシフトによって、すべての人々が、その順位付けゲームに参加することになるだろう。
すべての人々が順位付けされた世界は、私たちの現在の価値観には存在しない、新しい価値観で社会を見るのだろう。

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