集中という概念、神という概念、未来という概念
2021/8/30
集中
- 自分が何かしているとき、例えば、テレビを見るのに集中しているとき、無意識である。
- ふと、我に返って、「自分はテレビを見ていた」と気付いたとき、自分の行動を客観的に捉えたとき、意識がある状態だ。
私たちは、日々、テレビを見たり、ゲームしたり、スマホを触ったり、仕事をしたりして過ごしている。その時々において、そのことに、集中している。
「俺は、いま、ゲームしているなー」と客観的に意識しながら、ゲームしている人はいない。むしろ、そういう、客観的になった状態で、集中力が切れている状態だ。何かに夢中になって、無意識である状態が、集中している状態だ。
集中状態は、今、集中していると、客観的に気付いた時点で、集中状態が失われる。ふとしたときに、あるタイミングで、集中力が切れる。それは、一息ついたとき、他の何かに気付いたとき、急に別のことを思い出したとき、様々なときに起きる。そして、私たちは、集中状態のとき、1番、自分の能力を発揮できる。むしろ、集中していないと、自分の能力を発揮できない。だから、私たちは、集中力を欲しがる。集中力の本もたくさん出ている。
概念
そもそも、人間には、集中しているときと、集中してないときがあるという、「集中」という概念を見つけた人すごい。そんなことに気付く?そういった目に見えないモノの存在を認知し、言葉によって、人と人の間で共有できる能力が、私たち人類をここまで進化させてきた。
神なんて実体としては存在しないことは、みんな知っている。でも、日本人は、神社に行ってお参りをするし、海外は、宗教があって、神を信仰している人で溢れている。神とは実物ではなく、概念である。概念だとすれば、その概念を信仰することは、違和感はない。
- 「集中」というのも概念である。
- そして「未来」も概念である。
未来
アフリカの部族の中では「未来」という概念をがない人たちが存在とする。概念がなければ「未来」を理解することはできない。
「未来」という概念を手に入れてしまった私たちは、今ではなく、未来のために生きている。
未来に困らないように、仕事をする。
未来に困らないように、運動をする。
そうやって、いつか来ると信じている「未来」という概念に支配されて、今を生きている。
- 「未来」なんて、存在しない。
- あるのは「今」だけだ。
明日という「未来」を過ごす時は、その時は「今」だ。
1年後の未来を過ごす時は、その時が今
10年後の未来を過ごす時は、その時が今
未来なんて概念を手に入れてしまったばっかりに、私たちは、未来に対して生きることを覚えてしまった。未来の安心・安全のために、今を手放してしまった。来ることのない未来のために、今を犠牲にして生きている。
未来という概念を知らない子どもは、あんなに無邪気に今日を生きている。今だけを楽しむために、遊んでいる。ただ、自分の欲望の赴くままに、遊んでいる。多分、それは、とてつもない集中力で、ただ、目の前のことだけに、全力集中である。
経済的自由、FiREという自由

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