会話は、会って話すから、会話である。
2021/12/19
旅
「旅を最大限に、無邪気に楽しめなくっている」のは、どこかに、罪悪感があるからだ。
上がっていないのに、働いていないのに、稼いでいないのに、毎日が休日なのに、もっと休日していることに、罪悪感がある。
だとするならば、上がる以外に、働く以外に、稼ぐ以外に、その罪悪感を失くすことはできない。
- 「大好きな旅ですら、全力で楽しめなくなってきている」のは、もう、本当に、限界かもしれない。
- 「自分の限界まで、働くのを辞めたらどうなるんだろう」って思っていた。
働くことは、お金を稼ぐことである。
- 「お金を稼がない自分にどういう価値があるのか」知りたかったからなのか?
- 「お金を稼ぐことができるから自分には価値がある」と自覚していた?
「働くことが、お金の問題じゃない」としたら、何なのか?
私たちは、本当は何のために働くのか?
会話
読書という「過去・現在の偉人と話す」という行為は、一方通行である。キャッチボールがない。確かに、知識は付くし、いろんなモノの見方を得られるから、「無知な人と話す」よりは有意義である。「人と話したいな」と思う。無知な人とは話し続けるのは、難しいけれど。正しく言うと、「人と会話したいな」と思う。話すだけなら、電話でも、テレビ電話でもいい。でも、そうじゃなくて、「会って話したいな」と思う。
人と会話することで、自分を表現できる、相手からの反応を得ることができる。
私たちは社会性の生き物だ。他者と関わって生きいく本能が備わっている。
他者との関わりとは、会話である。現代文明が、会話から、会うことを間引いて、簡単に話すことができるようにした。確かに、便利になったけど、それは、ここ150年くらいのことで、テレビ電話が普及したのは、ここ数年のことである。それまで、私たち人類は、会って話していた。会うことでしかコミュニケーションを取る方法がなかった。
だから、私たちは、誰かと会って話したいのだ。会話せずには生きられない。
- 私たちは、会話によって、他者と関わり、関係を構築することで、繁栄してきた。
- 私たちは、会話によって、異性を獲得することで、繁殖してきた。
会話は、会話を通したコミュニケーションは、動物にはない、人間だけに備わっている。
私は「ひとりでも生きていける」と思ったけど、やはり、他者と関わり合う中で、自己を表現する手段としての会話を、他者を理解するための手段としての会話を、交わすことで、生きることしかできないのかもしれない。
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