国教
2021/5/16
国を絶対的なものとして信じている。
それは、国教を信仰していることだ。
世界と日本
日本は働かなくても生きていける世界でも珍しい国だ。
- 女性が、身体を売らなくてもいい。
- 大人が、コンクリートの地面の上で、土下座して、一日中、お金を恵んでもらわなくていい。
- 子どもが、汚れた電車の車内で、外人がいる付近の掃除をして、「チップくれ」と言わなくていい。
- 小学校にも満たない子どもが、親から教えらたスリを日常的にしなくてもいい。
- 親が、子どもを、身体障害者にして、見世物にして、お金を恵んでもらわなくていい。
働けばいいじゃないか?
仕事をすればいいじゃないか?
仕事がないのだ。
世界は、働きたくても働けない人がいる。
仕事がないから、働けない人もいる。
日本には多数の仕事がある。
今では、比較的かんたんな仕事は、コンビニや飲食店では、外国人が働いている。
日本は仕事で溢れている。
そして、何より、生活保護がある。
生活保護
日本国憲法は、国民に基本的人権のひとつとして生存権を保障している。誰でも最低限度の生活が保障されている。
日本国憲法第25条に「国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と規定されている。
この憲法によって保障される生存権を実現するための制度のひとつとして、生活保護法が制定された。
一方で、生活保護は、自由ではない。
生活保護を受けたが、1日で脱走したと聞いた。写真を見せてもらったが、確かに、大の大人の個人スペースが、2段ベッドの1段である。24時間、トイレと風呂以外は他人との生活は、すべての人が、自由と言うわけでないだろう。
何より、生活保護が自由であれば、ホームレスの存在が否定される。
自由の定義
自由の定義は、人それぞれだ。でも、国が保障する最低限度の生活に、多くの人が耐えられる自由はない。
メディアで、著名人が、「働かなくても、日本には生活保護がある、そんな国は日本くらいだ」と言う。
確かに、それは事実だ。
しかし、彼らは、生活保護の実態を知っているのだろうか?
事実だけでは生きていけない、そこにあるのは、現実だからだ。
自由は人それぞれだ。そして、国が決めた最低限度額の生活がある。国が決めた最低限度の生活は、多くの人にとって不自由だ。
だから、ほぼ全ての人が、仕事をする。
仕事をして、自分の自由を手に入れる。
自分の自由が前提だ。
日本は生活保護がある素晴らしい国だ?
それは、事実である。でも、人は、現実の世界で、生活しなければならない。
「日本は働かなくても生きていける」「生活保護という法律がある」それは事実だけど、自由と現実は人それぞれだ。
「国は絶対だ、憲法は絶対だ、法律は絶対だ」と信仰することは、宗教だ。






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