昨日の自分と、今日の自分は、別人

映画

やめる勇気

2021/12/26

【映画】リバーズ・エッジ
若草ハルナ(二階堂ふみ)は、彼氏の観音崎(上杉柊平)が苛める山田(吉沢亮)を助けたことをきっかけに、夜の河原へ誘われ放置された<死体>を目にする。「これを見ると勇気が出るんだ」と言う山田に絶句するハルナ。さらに、宝物として死体の存在を共有しているという後輩でモデルのこずえ(SUMIRE)が現れ、3人は決して恋愛には発展しない特異な友情で結ばれていく。
続けることは簡単だ。そこに思考も勇気も必要としない。
止めるめることは難しい。そこに判断と勇気と決断が必要になる。

映画を観ていて、1/3くらい経って、「アレっこれって、もしかして、あんまりおもしろくない?」って感じる。一度、再生を止めて、ストーリーをネタバレしない程度に振り返り、予告編の動画を観る。そして、これが最も重要なのだが、前に一度「おもしろそうだな」と思って「観たい」って判断した過去があって、その判断を違えることになる。私たちは、現状維持や一貫性を保ちたい性質があるから、他人に勧められたモノは、ともかくとして、「自分で観たい」って思った感覚は、大切にしたいめんどくさい生き物なのだ。

最後まで観て、やっぱり、あのとき、止めておけばよかった。
直感は正しかった。
いつだって、直感は、自分の今を投影しているのだから、正しいのだ。
直感は、今の判断。記憶は、過去の判断。
  1. 過去の私と、今の私は、違うことを認めなければならない。
  2. 「別人である」という視座が必要だ。
  3. 「別人である」とすることによって、過去の自分の判断に惑わされなくなる。

私たちは、過去の自分を美化し過ぎている。私たちは、過去の自分を信じ過ぎている。私たちは、毎日、少しずつ変化している。同じような毎日の中で、昨日と今日で「何が違っているのか」に気付くのは、簡単ではない。だけど、確実に1日分、何かしらの差がある。

例えば、ニュースひとつにしても、昨日までは知らなかった。今日は知っている。違っている。食事にしても、今日行った店は美味しかった、また、行こう。昨日までは知らなかった。昨日まではずっと考えていて、わからなかったことが、今日、急に、ふと、わかった。何でもいい、ちょっとだけ変化している何かがあるはずなのだ。だから、昨日の私と今日の私は、違う。別人とは言い切れないけど、やっぱり別人なのだ。

自分 = 過去の記憶 + 現在の体

以前に定義したことがあった。

人は、泣きながら生まれ、泣かれながら死ぬ
人生の遊び方 2021/9/24 泣きながら生まれ、泣かれながら死ぬ 私たちは泣きながら生まれた。 そのとき、周りの人たちは笑っていた。 私たちが死ぬとき、周りの人たちは泣いている。 だから、笑いながら死ぬのが、1番いい死に方だ...

過去の記憶は、1日前の記憶であっても過去の記憶になるので、今の自分と昨日の自分は、やっぱり違うのだ。別人なのだ。

過去の自分の判断である記憶は、今の自分の直感に劣る。

あの時あの場所で、おもしろかったことが、「今日は何だか楽しくない」という経験は、誰にでもあるはずだ。それは、自分の気分や一緒に過ごす相手や、その他、いろんな条件や状況や環境が、決めているのだ。

予告編は、映画のおもしろい部分を集約したダイジェストにしか過ぎない。予告編でおもしろいと思っただけだ、過去の自分が。実際に、映画を見る、今の自分が。映画に流れる一本の軸、テーマに共感できないと、それが違和感となり、直感がはたらく。その直感は、過去の自分よりも、今の自分の意識を動かしているのだから、止める。

私たちの感覚で、直感ほどに、自分の今を表現する感覚はない。直感で行動する。過去の自分に縛られない、記憶に重きを置かない。

  • 論理的に考えるから、スペックを重視してしまって、恋愛できない。
  • 論理的に考えるから、未来の姿を想像してしまって、結婚できない。
  • 論理的に考えるから、安定にすがって、転職できない。
直感で、恋をする。
直感で、仕事を辞める。
直感で、旅に出る。
直感で、仕事に就く。
直感で、結婚する。
直感で、子どもを為す。
直感で、離婚する。
直感で、旅に出る。
直感で、仕事に邁進する。
直感で、仕事を辞める。
直感で、旅に出る。
直感は、ロジカルを超える。
ロジカルの中には、科学的な正しさしかない。
自分だけにある正しさは、直感の中にある。

直感に従って生きる。
自分の無意識の中にある正しさに従う。

やめられない思考
なるほど、視聴者に思考を促し、自分自身で答えを探し求めることを意図している。だとするならば、私は、その意図に沿って思考しているから、映画の意図に突き動かされている。

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