「世界の歩き方」を見て泣いた日

「世界の歩き方」を見て泣いた日

2021/7/27

行きたくて泣く

「地球の歩き方 ” 世界のすごい島300 ” を見て泣いた話し。

湯浅ぐらいになると「地球の歩き方」で泣ける。

毎年、いろんな島に行っても、世界一周しても、まだ、行ってない島がたくさんある。

こんなに素敵な島がある。
行っていない島がある。
未知の島がある。

行きたすぎて泣いた。

まだ行ってない未知の島へ、行きたすぎて泣いた。

図書館で見つけて、パラパラとページをめくっていたら、涙が溢れてきた。

地球の歩き方で泣ける。
「行きたい」という感情で泣ける。
どうしても行きたくて泣いた。
どうしても行きたい島がたくさんあって泣いた。

回顧

前にもこんなことがあったなー
世界一周に行く前に、泣いたなー
電車で、泣いたなー
自分の琴線に触れて泣いたなー

「死ぬまで旅していい」という価値観である。

新婚旅行には、終わりがあるけど、「終わりがない新婚旅行があってもいいじゃないか」という価値観である。

いいんだ。

旅しても、いいんだ。

許された気がしたのかもしれない。

仕事を辞めて、すべてを投げ捨てて、世界一周に出ることを決めた。不安がない訳がない。でも、それよりも、魅力的な世界があって、輝かしい未来があって、掴める現実があっただけだ。

それを全力で肯定された。

「自由に生きていいと、世界一周してこい」と背中を押された。

だから、泣いたのかもしれない。

感情と行動

悲しいから泣くのではない。
泣くから悲しいのだ。

というふうに、
「行動から感情を意識する」という考え方もある。

「行きたすぎて泣いた」って何だろうか?

世界には、まだまだ行ってない国や都市や島がたくさんあるのは、認知している。
だから、生きているのだ。旅に出れる場所があるのは、生きる希望だ。旅をするために生まれてきた。

「旅をするために生まれてきた」って思えるから、旅に行きたくて泣いた。

行きたすぎて泣いたのは、自分の現状と、ミライのギャップに、身体が反応して、感情が生まれた。

日本に住んでいる現状と、海外に住んでいるミライのギャップを、脳が認識して、泣いた。

死ぬまで旅を続けて、どっかの国のどっかの島で、寝たら、そのまま起きなかった感じの死がいい。

「最期の晩餐は、卵ご飯」って決めてるけど、最期の晩餐なんかより、不自由でいい。

不自由がいい。

日本じゃないという不自由の中で、自由に息絶えたい。

もしくは、飽きたい。世界中のいろんなところに行って、「旅もういいや」って飽きたい。飽きるほどに、世界は狭くない。この人生の一生をかけても、全然、行きたいところは、終わらない。そう信じているけど、実は、「旅もやりすぎたら、飽きるよ」っていう、旅の向こう側に行ってみたい。

そんな世界があるのか知りたい。

「世界の歩き方」を見て泣いた日〜スピンオフ
「男の人が化粧している、非常識だ」じゃなくて、「何で化粧しているんだろう?」話しを聞いてみたい。「どういう考えが、化粧に結び付いたんだろう?」という視点である。

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