人は、泣きながら生まれ、泣かれながら死ぬ

湯浅

人生の遊び方

2021/9/24

泣きながら生まれ、泣かれながら死ぬ

私たちは泣きながら生まれた。
そのとき、周りの人たちは笑っていた。
私たちが死ぬとき、周りの人たちは泣いている。
だから、笑いながら死ぬのが、1番いい死に方だ。1番いい人生の最期の迎え方だ。

笑いながら死ぬというのは、どうすればいいか?

  • この世に未練がない、やり残したことはない、後悔がない人生を過ごしたかどうかであろう。
  • もう一度生まれ変わったとしても、「また、この人生を歩みたい」と思える人生こそ、至高だろう。

過去は変えられないけど、未来は変えられる。これからの人生は自分次第だ。どうしたら、笑って死ねるか?

  • たくさんのお金で買ったモノに囲まれながら、死ぬ生き方なのか?
  • たくさんの人に家族や友人に囲まれながら、死ぬ生き方か?

体験

モノに価値はない。モノはあの世に持っていけない。モノではなく、自分の経験である、自分が体験した記憶という思い出は、あの世に持っていける唯一の財産だ。

私たちの人生は、ただ、体験をするために存在する。

いろんな体験をして思い出を作る。

例えば、記憶喪失になったとしたら、今の自分は存在しない。体は自分かもしれないが、今の自分の構成要素である記憶がないのは、自分と言えるだろうか?

自分 = 過去の記憶 + 現在の体

という風に定義できる。

死が訪れるときは、体が消滅して、過去の思い出、人生の記憶だけになる。

魂というような言い方かもしれない。魂がどんなモノかはわからないけど、少なくとも現世にある物質というモノを保持したりはできない。死んだら、モノは遺産として、家族に受け継がれるように。記憶がなかったら、肉体も記憶もないなら魂である必要性すらない。だから、魂があるならば、その中に記憶あるはずだ。そして、肉体がないから、魂は体験できない。体があって経験することが、体験だからだ。魂は、現世での記憶からのみ成る、あるとするならば。

魂の存在有無は置いておいたとしても、人生における体験価値は、とてつもなく貴重であることは、理解できるだろう。

私たちは、死なないように、食事をして、睡眠をとり、家に住み、仕事をしてお金を稼いでいる。死なないように生きている。

ただ生きているだけではない。快を求めて生きている。

快は、物欲だったり、性欲だったりする。その強弱は、人によって異なるかもしれないが、いずれにしろ、私たちは、何らかの快楽を求めて生きている。快楽なしに人生たり得ない。そして、その快楽のほとんどはお金で満たされるから、私たちは、お金に支配されてしまう。お金の奴隷となって一生を過ごす。

お金に支配されない人生とはどんなに素晴らしい人生だろうとおもう。別に豪邸が欲しいとか、高級車に乗りたいとか、贅沢したいとか、ではなく、好きなときに、好きなところで、好きなことをしたいだけ。ただ体験をしたいだけ。ダハブで沈没したり、ジョージア で1本100円のワインを呑みながらダラダラしたり、ザンジバルで本当に何もない村での日常を過ごしたり、まだ見ぬ新しい世界を探したりしたい。

どこかへ行きたい。
旅に出たい。
旅に出て、体験したい。
知らないことを知って、全身で楽しみたい。
知的好奇心を満たし続ける人生でありたい。

時間の有限性

私たちは普段の生活では、意識をしていない。人生が限りあることに、時間が有限であることに、気付かないフリをして生きている。そして、毎日を惰性で過ごしている人がたくさんいる。時間という有限な資産を、どこに投資するのか、時間をどう使うかで、私たちの人生は決まる。

というか、今、こうして過ごしている時間が、人生そのものである。こうして、文章を書いている時間、文章を読んでいる時間、ゲームをしている時間、動画を見ている時間、すべての時間を体験して、有限な人生を消費している。人生という貴重な時間を、記憶に変換して生きている。

人生とは、限りある時間を、今、体験して、過去の記憶に変えていく作業を繰り返しているに過ぎない。

暇なときはなどない。無駄に過ごす時間などない。「明日死ぬかのように生きよ」とガンジーは言ったけど、明日というのは、私たちには、急すぎる。

10年後に死ぬとしたら?
1年後に死ぬとしたら?
1ヶ月で死ぬとしたら?
私たちは今と同じ時間の使い方をするだろうか?

これまでの貯金で贅沢三昧することにも、やがて飽きるだろう。

あと1ヶ月で死ぬのに、高級車買う?モノを買う?

じゃあ、何する?って話しだ。

多分、そこに残ったことが、自分の人生で大切にしていることだ。そこに残ったことが、自分の人生で求めてる体験だ。

家族と旅行に行ったり、友人と呑んだり、多分、そこにあるのは、モノではなく、人間関係の体験であろう。

私たちはお金に支配されていることに気付いていないか、気付いていても見て見ぬふりしているけど、お金じゃない、体験だ、人間関係だ。

今、目に見えないお金を追いかけるよりも、今、目に見えている、家族や友人との人間関係にこそ、価値があるのだ。

そこに価値を見出し、それを体験して記憶にしていくことで、笑いながら死ぬという最期を迎えられるはずだ。笑いながら死ぬために、今ある時間を、素晴らしい体験に変えて、生きていく、それが人生ではないか?

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