文化と価値観

社会

文化と価値観

2021/12/10

文化的食事

江戸時代までは、四つ足の動物、牛や豚は食べなかったが、猪肉は、山にいる鯨の肉、山鯨として食べていた。兎は鳥の一種として食べていた。犬や猫は、今も昔も食べない。

犬や猫は、ペットにしている人が多い日本では、食べる文化がない。

犬や猫を食べるのは、中国や韓国である。私たちは「犬や猫を食べるのは野蛮だ」と思う。それは、日本人だからだ。

叔父さんは、馬肉を食べない。馬が好きだからだ。「なぜ、馬肉を食うのか、意味がわからない」と言っていた。私たちが、犬や猫を食べる感覚に近いのかもしれない。

私は、フグを積極的に食べない。食卓にあれば食べるが「フグを食べに行こう」とはならない。私はダイバーで、フグが好きなのだ。だから、あのかわいいフグを食べることには、抵抗がある。大好きなハリセンボンは、生涯、食すことはないだろう、食卓にあったとしても。

私は、ホルモンを食べない。ホルモンは内臓なので、独特の臭みが苦手だ。でも、ホルモンが好きな人もいる。そしてホルモンが好きな人は、ホルモンが好きでない人がいることを知っている。

私は、猪や鹿や熊の肉を食べない、獣肉は苦手だ、独特の臭みが苦手だ。でも、あの臭みを好む人がいることも知っている。そして、彼らが「獣肉を食べることは異質ではない」と考えていることも知っている。彼らにとって、獣肉は、肉なのだ。

イスラム教徒は、豚を食べない。豚を不浄としているからだ。豚を食べる民族は、不浄な人たちに映っているかもしれない。宗教の経典に「豚を食べるな」と書いてあるから食べない。

日本でいうと、常識という言葉だろうか。常識で食べない。鯨を食べないのは、常識だから食べない。

なぜ鯨を食べてはいけないのか?
・常識だからだ。
鯨が減っているから?
鯨がかわいそうだから?
・否、常識だからだ。

捕鯨を禁止した結果、鯨は増え過ぎている。鯨は哺乳類だから、かわいそう。私たちは豚や牛といった哺乳類を常食している。

インド人は、牛を食べない。宗教で牛を神聖としているからだ。インド人からしたら、牛を食べる民族は、野蛮に見えるかもしれない。

牛が神聖だからか、牛を食べないからかは、わからないけど、インドでは、野良牛がいる。地球の歩き方を見ながら歩いていて、ぶつかって、謝ったら、牛だった、いや、マジで。日本には、野良犬や野良猫がいるが、ぶつかることはない。しかし、インドでは、野良牛がいるから、気を付けていないと、牛にぶつかる。

・ベジタリアンは肉を食べない。
・ビーガンは動物由来の食品を食べない。

「動物がかわいそう」とか、「動物が環境に良くない」とか、様々な知識によって、価値観を形作り、食事制限をしている。

文化的権威

生まれながらにして刷り込まれた虚構を文化という。
ハラリ
常識とは、18歳までに積み重なった、偏見の累積でしかない。
アインシュタイン
その時代に、その社会の人に、信じられている法則を文化という。
権威 ( 親・教師・社会・国 ) によって教えらて、人間は成長していく。
権威を信じることで、私たちは、自分を作る。
  • 私は、「人に迷惑をかけてはいけない」と信じている。
    誰かに頼ってもいいのに。
    それは、親に習ったからだ。
  • 私たちは、「地球は回っている」と信じている。
    見たことないのに。
    でも、それは、学校で習ったからだ。
  • 私たちは、「本に書いてある」ことを信じている。
    教科書が100%正しいわけではないのに。
    でも、それは、教科書が学校で使われていたからだ。
  • 私たちは、学校を卒業したら、会社に入って働く。
    社会人という名札を付ける。
    それは、国が徴税するためだ。
私たちは、権威を信じるように、育てられた。
そして、権威に従って、行動する。
私たちは、自分が、何を信じているかによって、すべての行動を決めている。
  • 仕事に行くのは、「今日、働いたら、来月にお金をもらえる」と信じているからだ。
  • 仕事をしてお金を稼ぐのは、「お金は、いろんなものと交換できる」と信じているからだ。

私たちを作るモノは、自分が何を信じるかだ。
私たちは、自分が何を信じるかは、自分で決められる。

信じると疑う

自分の可能性を信じる。
自分の未来を信じる。
本当に信じた未来だけが、現実になる。
自分を信じることが、即ち、自信である。

常識を疑え
すべてを疑え
自分を疑え
自分の人生を疑え

自分が何で構成されているのか?
自分の思考がなぜそうなのか?
自分の歴史を疑え

自分を知る
自分がなぜ作られたのか?
自分がなぜそう考えるのか?
自分の根本思想を疑え

  • 疑うことの反対は、信じることだ。
  • 疑うことの先には、信じることがある。

「常識を疑う」ということは「私は何を常識だ」と信じているのかだ。
なぜ「それを常識だ」と信じているのか、疑うのだ。

  • なぜ、差別はいけないのか?
  • なぜ、戦争はいけないのか?
  • 否、自分が「なぜ差別はいけない」と考えてしまうに至っているのか?
「奴隷は人間ではない」という常識の時代があったのだ。
【本要約】知らないと恥をかく世界の大問題12
封建制の元で、農奴もペストで死んでいき、労働力不足となった。そして、労働条件が改善され、農民の地位が確立していき、報酬としての賃金が支払われるようになった。ペストの大流行は、資本主義の誕生のキッカケとなった。

疑い、「自分が、なぜそれを信じているのか」を明らかにすること。

「この世界は虚構だ」と、仏陀が言った。
「信じる者は救われる」と、イエスが言った。

二人の賢者は、同じことを言っている。

2000年以上続く、ビジネスが宗教である。
そこには、商品もサービスもない。
思想があるだけだ。
信仰があるだけだ。
これほどまでに時代が変遷していったのに、そのビジネスモデルは、廃れないままだ。
それは、そこに、真理があるからだ。
時代を超えた普遍の真理があるからこそ、ビジネスは繁栄を続ける。

宗教の本質を捉え、そのフレームを現代のビジネスに付け替える。

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