日常化による喪失

湯浅

日常化による喪失

2021/5/22

小さな頃は、自転車は、乗るだけで楽しかった。乗ること自体が、遊びだった。乗ること自体が目的だった。

できないことをできるようになったことが嬉しかった。乗り方がわからなかったモノに乗れるようになったことが嬉しかった。

  • 自転車に乗るまでに、何度も失敗した。
  • 自転車に乗るまでに、ケガした。
  • 自転車に乗ることは、難しかった。

だから、余計に嬉しかった。
難しことができるようになったのが、嬉しかった。

  • 自転車に乗ったら、楽しかった。
  • 自転車に乗ったら、おもしろかった。

だから、自転車に、乗ること自体が、遊びだったし、目的だった。

それが当然になると、子どもから成長するにつれ、自転車の目的が変化する。

自転車が日常生活の一部となると、自転車の目的が変化する。

自転車は、早く移動するための手段となる。

自転車は、遊びの道具から、移動の道具へと目的が変化した。

遊びは、日常化してしまうと、その姿を変えてしまう。

日常化によって、その利便性だけが取り出され、遊びの部分は失われてしまう。

日常化による喪失である。

日常化によって、遊びは、喪失した。

楽しいことも、おもしろいことも、日常化によって、喪失する。

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