【本要約】負債と報い

【本要約】負債と報い

2022/4/7

負債は、古来より宗教の重大テーマであり、人間社会の在り方そのものに深く関わる問題である。

古代の賃借均衡

  • 人は「 存在している 」というだけで誰かに、もしくは、何かに負債を負っているのではないか?
  • もしそうなら、どんなツケを誰に、あるいは、何に負っているのか?
  • そして、どう返すべきなのか?

人間の複合概念としての負債である。
想像上の複合概念である。
飽くなき人間の欲望と強烈な恐怖をこの複合概念がどのように映し出し、拡大しているかを探る。

子どもが妖精を信じるのをやめたら、妖精は存在しなくなる。

  • 大人が銀行を信じるのをやめたら、銀行も消え失せてしまうのだろうか?

妖精は非現実で、銀行は現実と、大人は思っている。

  • 本当だろうか?

飛行機が空中に留まっていられるのは「 人が空を飛べる 」と理に反して信じているからだ。そういった共同幻想の支えがなければ、たちまち地面に墜落してしまうだろう。

  • 負債も同じようなものなのか?

私たちが想像するから、負債は存在するのかもしれない。

負債に対する私たちの見方は、文化に根付いている。文化とは、極めて強力な変更因子として、私たちの行動から本質まですべてに影響を及ぼし、人類の存在の中核にまで浸透している。

認識できる行動パターンが、古ければ古いほど歴史が長いので、人間らしさに不可欠な様相であり、文化的な多様性が立証できるだろう。

遺伝子は住む環境に応じて形を変えることも、スイッチが入ることもあるし、様々な方法で抑圧されることもできる。

社会性のある動物だけが分配を好む。

多くの動物は、小さ過ぎるものより、大き過ぎるものの方が見分けやすい。これは、狩猟動物には必要な能力である。

社会生活を営む動物は、共通の目的を達するために協力する必要がある。グループの成果を全員がフェアとみなす形で分け合う必要がある。フェアは平等と同じではない。貢献度や、体格や、役割によって受け取る量は様々だ。分け合うことがなければ、次回の協力は望めない。

コンピューター・シミュレーション・プログラムの実験

この競技は、「 どの行動パターンが、他のプログラムとの一連の対戦の中で最も長く生き延びて、適応度が高いか 」を検証するように意図されたものだ。

あるプログラムが、別のプログラムと最初に「 対戦した 」とき
・協力するか
・攻撃するか
・騙すか
・交渉を拒否するか
決断しなければならない。

この競技の内容は、人間と原人が進化してゆく社会状況を見事に反映していた。舞台は小規模な社会で、数十人の人間が定期的に一対一で接触している。それぞれの行動プログラムは「 過去に出会った相手が協力したかどうか 」を記憶していて、それに基づいて今後の行動を決めてゆく。

最適なプログラムは『 しっぺ返し 』と呼ばれるものだった。
しっぺ返し:お前が俺を叩けば、俺も叩き返すぞ

『 しっぺ返し 』のコンピューター・プログラムのルールはとても単純であった。

① 初対面の相手には、協力をする。
② それ以降は、前回に相手が取った行動と同じ行動をとる。
善行には善行で報い、意地悪にはしっぺ返しを。

よく知られた「 目には目を 」のルールに従ってゲームを続けた。相手があなたにしたことを相手にお返しせよ。「 人にしてもらいたいと思うことを、あなたも人にしないさい 」と同じでない。こちらの方が難しい。これは、どのプレイヤーも同等の手段を使えることが前提でプレーの環境が平等が条件の場合、勝利への戦略となる。

私たちの歴史を振り返ると、戦争で勝った者が法律を作り、その法律がゆえに、君臨する階層社会組織が正当化され、不平等を神聖なものとしてきた。

負債と罪

負債は新種の肥満

最近まで、肥満は喫煙より悪い → 肥満 < 喫煙
その前、喫煙より飲酒が悪く→ 喫煙 < 飲酒
さらにその前、飲酒は買春なみ → 飲酒 ≒ 買春
そして、今や、買春は負債の一種である。

イエスが話したアラム語では、負債と罪は同じ言葉である。

金銭による負債は奴隷状態の一種である。

人類が物を取得する方法には「 獲得 」か「 取引 」の2つの方法しかない。私たちが蓄財のためにすることは、すべてこの「 獲得 」か「 取引 」のどちらかである。

警察官は「 獲得 」を守る役であり、守護者として武器の携帯を許されているのであって、商人となって「 取引 」してはいけない。賄賂といった腐敗が生じる結果になる。

獲得:狩猟、採集、漁業
取引:物々交換、売買

贈物は「 獲得 」も売買もされないが、贈物は「 取引 」の中に入る。

貸借は、グレーである。
借りたものを返さなければ「 窃盗 」である。
借りたものを利息を付けて返せば「 取引 」である。

キリストは、贖いの主と呼ばれている。

この言葉は「 負債・質入れ・抵当に入れる 」という言葉、ゆえに、身代わりの生贄という言葉に由来している。

キリスト教の神学理論は、精神的負債という観念、そして「 その返済のために何をすべきか 」に基づいている。

贖い

神が人間に生命を与えたので、人間は神に対して全面的に感謝をし服従すべき負債がある。

しかし、人間は担った負債を返さなかったばかりか、服従せずに約束を破った。こうして、人は自分と子孫を永遠に質入れした。負債は相続人と債務者の譲受人に移譲される。既に組み込まれている罪の負債の場合、債権者は時に死神、時には悪魔と考えられる。

どちらも債務者の
(a)「 生命 」
(b)「 魂 」
あるいは両方を。

遠い祖先の悪業のツケとして取り立てる。アダムから人間が受け継いだ「 原罪 」として知られている罪の負債の重みは、それぞれ個人が犯した目新しくもない罪に付け加えられるから、総額が大きすぎて決して一人では払いきれない。

だから、誰かが「 身代わりになる 」と申し出てくれなければ、
魂は
(a)「 消滅 」
(b)「 地獄で悪魔の奴隷 」

生きている間に、神の恩寵を受けられなかったり、結局は実際に悪魔にそっくり売られてしまった魂は、みんな中間的な状態にあると信じられている。危ういけれどまだ完全に地獄に落ちたわけではあない。

「 キリストは宇宙全体の『 罪食い 』の役を果たしてすべての魂を贖った 」と神学理論では言われている。キリストは「 他の人すべての罪をかぶって十字変にかけられた 」というわけだ。自己犠牲的精神をもって、キリストは自らを人間の生贄の身代わりとして差し出し、人身供犠の習慣を廃止さた。そうして膨大な原罪の負債を贖った。

人は自分の罪を贖ってもらうことによって自分自身を贖わねばならない。

生きとし生ける者の魂は、まったき奴隷でも、まったき自由でもない状態で、魂の質屋に住んでいるのだと考えることができる。

文字

人類のテクノロジーは、すべて、人間の体と心の延長である。
眼鏡、望遠鏡、テレビや映画、絵画は目の延長
ラジオと電話は、声の延長
書かれた文字や数字は、記憶の延長

こうした記憶の助けは、多くの人間社会で個別に出現した。

楔形文字の大多数は、会計記録と在庫目録である。メソポタミアの聖職者や王たちは、余剰穀物の商いを行い、初めて銀行といえる食糧銀行を設立した。食糧の余剰は武力闘争を招いた。

チンギス・ハンの統制
勝利の後には、まず在庫を調べた。
有価物品だけでなく市民のリストを作った。
金持ちや貴族を虐殺したが、書記は残した。読み書き能力は貴重だった。

文書記録によって、借方と貸方を照合できるようになると、課税制度が仕組み化された。

課税制度
宗教団体に税金を払えば、神々の保護を得る
王に払えば、軍隊に安全を保障される

重税を課せられたのは、農民で、上部構造の活動を支える食糧自体を生産する人々である。
この課税方式は、今も、そのままである。

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