物欲は本能ではない、承認欲求は現代病だ
2021/9/28
本能
本能は考えてもわからない。
何で眠るのか?本能だから
食べることや眠ることは、食欲や睡眠欲は、生存本能である。
何でセックスするのか?本能だから
何で結婚するのか?本能だから
何で子どもを育てるのか?本能だから
家族を作り子ども生み育てることは、性欲は、繁殖本能である。
本能でない欲求
物欲
物欲は本能ではない。
「モノが欲しい」「モノを買って自分で所有したい」というのは、本能ではない。生まれてから後に、植え付けられた文化であり、幻想である。

誰かが、「モノを持つことは豊かである」と教えた。
誰か?
時代の制覇者であり、世界の統治者であり、国の権力者である。
軽自動車の方が、価格も安くて、小回りがきいて、税金も安くて、壊れにくくて、燃費もいい。それなのに、価格も高くて、運転しづらく、税金も高くて、壊れやすくて、燃費も悪いアメ車が価値があると考える。アメ車なんて、デカすぎて、駐車も難易だし、デカすぎて、ぶつけ易いのに、アメ車がカッコいいと考えてしまう。
承認欲求
インターネットが作り出した闇である。
インターネットの誕生前、私たちは、自分たちの属するコミュニティの世界がすべてだった。その中での承認欲求はあったかもしれないが、あいつに勝ちたい、こいつには負けたくない位の小さなモノだった。そして、家という環境に帰れば、家族だけの安全地帯で過ごせた。
今では、360度全方位的24時間休むことなき、承認欲求のぶつけ合いである。コミュニティも存在しない、安全地帯も存在しない、そして、1日中24時間ずっとエンドレスで繰り返される。勝敗のつかない勝負を続けることで消耗し、その尽きない欲求に一喜一憂している。
資本主義
本能でない欲求、物欲や承認欲求という価値観は、なぜ生まれ、これほどの脅威にまで成長したのか?
資本主義である。
資本主義が成長し続けるために必要な価値観だったからである。
資本主義を統べる神が、創造した欲求である。
被支配欲求
見えず気付かずの被支配欲求もある。
被支配欲求は、大衆が「権威に服従したい」という欲求である。それは、資本主義以前に創造された欲求である。親・先生・医者・社長・政治家・宗教という権威に盲信する文化は、被支配欲求からなる。
先生も、医者も職業の区分でしかない。運転手、大工、YouTuberと同じである。上下はない。社長は、会社という仕組みのひとつの機能でしかない。社長も新人も役割の違いがあるだけで、上下はない。
被支配欲求によって、勝手に、「社長が偉い」と思わされているだけだ。新人がいなくなっても会社が潰れないように、社長がいなくなっても会社は潰れない。残った人たちで、社長の役割を分担していくだけだ。
そもそも会社は社長のモノでもない、お金を出資した資本家のモノだ。会社の中から資本家は見えないだけだ。
神
本能は人間を創造した神が作った欲求であり、世界を統治する神が作った欲求である。
それ以外の欲求は、資本主義を創造し成長させる神が作った欲求である。
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