差別と区別

社会

差別と区別

2021/11/15

差別と区別

グリーン車がある、普通車両がある。
差別?区別?

お金持ちと普通の人との区別で、差別じゃないだろう。お金を払うと席が決められて快適なサービスが提供されるのは、社会のルールだ。

優先席と普通席がある。
差別?区別?

「身体が弱い人を区別して席を譲ろう」という社会の優しさは、差別じゃないだろう。

そんな席があるのは、世界中で日本だけである。世界の若者や男性は、女性や老人に、すぐに席を譲るのが、当たり前だから、そんな席はない。世界の常識、日本の非常識である。

女性専用車両がある、男性専用車両はない。
差別?区別?

いろんな意見があるだろう。

俺は女性専用車両が、乗り換えに1番近い車両、改札から1番近い車両とか、便利な車両でない限りは、気にならない。意見すらない。

そもそも、この件についての意見を叫んでいる人は、女性専用車両が生まれた歴史を知らないんだろうと思う。無知なんだろう。あの痛ましい事件を知れば、差別という発言は、出てこないはずだ。

トイレが男女で分かれている。
差別?区別?

身体の構造が違うんだから、区別する。でも、トイレが男女一緒で1つしかない施設もあるのは、体の構造は違えど、排泄行為は、同じ便器で事足りる。区別する必要はあるのか?

老舗のデパートなどでは、男女のトイレのフロアが分かれていることがある、男トイレが3階、女トイレが2階という風に。これは、歴史的に、高貴な人々の中では、排泄行為は、男女間においては秘めたモノだという社会規範があったからだ。現代の男女の関係においても、初期の頃は、女性が「トイレに行くと男性に言いづらい」という話しは、残っている。合理的には、区別する必要がないけど、「歴史的にも、女性の側からも、分けるべき」という思想があるから、区別されている。

男女で風呂が分かれている。
差別?区別?

「差別だ」という人はいないだろう。

トイレは個室だが、風呂は個室になっていない場所で、肌を晒すのだから、身体の構造が違う男女が一緒に入るのはおかしいから、区別に決まっている?

江戸時代は、風呂は混浴だった。男女の区別が浸透していったのは、西洋文明の影響に過ぎない。歴史によって、作られた価値観が、今の私たちの文化となっている。そもそも、風呂 ( 温泉 ) は、水着を着て入るのが世界の常識である。風呂に裸で入るのは、日本とジョージアくらいだ。

自分の思考

私たちは、自分の立場によって、差別や区別といった価値観を持っている。そして、それが、正しいと信じている。人は自分が信じていることを疑うことはしない。

だけど、歴史を紐解いて、時代による比較をしたり、文化の観点から、世界と比較したり、時代と国という比較軸によって、その正しさへ、疑問符を投げかけることができる。私たちは、自分の思考は、「自分たちだけのオリジナルである」と信じているけれど、それは、時代と国によって作られた文化が根本となっている。

私たちの価値観・固定観念・常識といった思考の源流となるモノは、私たちが成長していく過程で得た概念や知識は、すべからく、自己の自由意志によって得たモノではない。

親や学校に教育されて培われたモノだ。

すべてを疑うということは、自分の歩いてきた道、人生に対して、根底から、地盤からひっくり返すということだ。

親が偉いわけじゃない「親が偉い」というのは孔子の教えであり、日本文化の根底をなす儒教の思想である。親が、子どもを創るのは、自分のエゴでしかない。親は、子どもを為すことに、疑問を持ったりしない。

  1. 人類は、繁殖し繁栄されるように設計されている。
  2. そして「子育てが人生で最も楽しい」とプログラムされている。
  3. それを本能として、無意識にやっているに過ぎない。
  4. 「自分が楽しいから、子どもを生み育てる」と意識することで、無意識の本能から、自分のエゴであることを認識できる。

教師

教師が偉いわけじゃない、教師は学校というフレームの中の社会しか知らない。ビジネスを知らない、モノやサービスを売って儲けたことがない。学校はビジネスマンを育てる仕組みではない、サラリーマンを育てる仕組みだ。教育は、自分でモノやサービスを興してビジネスをする人を創るのではなく、会社に属して会社のルールに従って上司の命令を忠実にこなす組織人を創る仕組みである。その歴史を紐解くと、敗戦がありGHQがある。

医者

医者が偉いわけじゃない、医者は、病気を誤魔化す治療をしているに過ぎない。病気は、気の病だ、気のせいなのだ。私たちは、自然治癒力を持っている。本来は、病気は、自然治癒力で治すことができる。現代の医学が、西洋医学に傾斜し、薬物治療に依存しているだけなのだ。それは、医者も、資本主義の世界の住人に過ぎない。薬物を出さないと儲からない。

幻想

親や教師や医者など、私たちが敬うようにされた権威も、すべては、幻想に過ぎない。幻想に気付くためには、知識が必要である。知識とは、歴史に学び、そのフレームを通して、現代の有り様を俯瞰することだ。そういう意味では、知識とは、再定義と呼んでもいい。知識は、何かを得て、それをその他に当てはめて引用することで、その威力を発揮できる。

知識の合成から生まれた言葉たちは、知識が自分の身になっている証左だ。

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