社会に対しての違和観

社会

社会に対しての違和観

2022/5/12

社会に対しての違和観は「 ずっとずっと世界的流行風邪のせいだ 」と思っていたが、実はそうじゃないことに気付いた。
世界一周によって、私は別人になったのだ、自分の世界観が変化したのだ。
  • 自分の世界観の変化に、自分でも気付かなかっただけだ。
  • 自分の世界観の変化によって、日本社会に違和観を覚えていた。
  • 自分の世界観の変化に気付かずに、日本社会に対する違和観を世界的流行風邪のせいにしていた。

確かに日本社会は変化したけど、それは、やっぱり日本社会で、私が、ずっと日本に住んでいたら、違和観がなかったかもしれない。あっても、今ほどの拒絶はなかったかもしれない。

モノゴトの本質は、いつも「 外側 」ではなく「 内側 」にある。
  • 世界的流行風邪という外側の問題ではなく、私の世界観という内側の問題である。
  • 私の世界観の変更と世界的流行風邪が、同時に起こっていたから、気が付かなかった。
  • むしろ、外側の世界的流行風邪に目を奪われていた。

本質は、私の世界観の変更にあった。

私の世界観が変更されたから、日本社会の違和観に気が付いただけだった。
変わったのは社会ではなく私であった。
変わった私を受け入れ切れずに社会のせいにしていた。

この世界は、すべて解釈で成り立っている。
この世界は、私の解釈でしかない。

問題の原因は、すべて自分だ。
問題の原因は、すべて私の解釈にある。

私の解釈次第で、世界の見え方が変わるのだ。

人生は自分の心の置きどころひとつ
中村天風

期待するから怒り・失望・不安が生まれる。

何にも、他人にも、社会にも、未来にも期待しなければ、負の感情は生まれない。

この世界は、自分の思い通りにいかないものだから、この世界に期待してはいけないのだ。

そもそも、この世界は幻想で、この人生は、虚構の物語なのだ。
神様越えの人間であるブッダの悟りである。
ブッダによる世界の解釈である。

すべてが解釈次第ならば、世界の事物は変えられないけど、私の感覚・感情は私が変えられる。負の感情も解釈によって、正の感情には変えられなくても、無に変えることならできるかもしれない。

・私は、私が変えられるものだけに、目を向けなければならない。
・悩みは、私が変えられないものに、目を向けたときに生まれる。
・世界は変えられない、社会は変えられない、他人は変えられない。
  1. 世界の解釈は、変えられる。
  2. 他人の思考は変えられないけど、私の思考は変えられる。
  3. 私の未来は変えられる。

この世界は「 幻想だ 」と解釈して、この世界をポジティブに解釈して、他人を積極的思考で解釈して「 私は、幸福だ 」と解釈する。

「 世界が、私の思い通りにならない 」と言えばそうだし、「 私の思い通りになる 」と言えばそうだし、世界は私の解釈でできている。

私が見たいように、世界は見える。
【重要】問題解決へのアプローチ大全
私たちは問題が生じた時に、すぐに解決方法を考える性質がある。しかし、その方法では解決しないから、私たちは悩み続けている。「 解決法を考える 」というスタイルではない、問題に対しての新しいアプローチ方法の提案である。

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