「これからの生き方」からの思考
2021/12/23

「これからの生き方」より
「嫌い」と言われることを受け入れる?
そうか、みんな、「誰かに嫌われたくない」と思っているんだ。
嫌われることを恐れているんだ。
なぜ?
嫌われてもいい。
「嫌われない」って何?
もちろん、好きな人に嫌われたら、悲しい。自分が仲が良い人に嫌われたら、悲しい。
だけど、それ以外の誰かに、嫌われることを恐れることはない。嫌われるのは、相手との人間関係の結果だから、仕方ない。嫌われないように生きることの方が、わからない。嫌われないように生きることは、難しい。
人に「嫌われる」というのは、他人の感情であって、それは、自分がコントロールできない。そして、自分がいくら嫌われないように気を使っても、それは、自分の思考の域を出ない。
私は、そんなことは考えない。嫌われたら、嫌われたで、しょうがない。その人と合わなかっただけだ。
・だから、私は「相手に嫌われないように」と考えて話したり、行動したりしない。
・だから、相手を傷付けてしまうこともしばしばだろう。
でも、そのことすら、気にしていない。相手の気持ちを考えない、自己中とも言えるかもしれない。だけど、私は、偽っていない分、正直である。好き嫌いもハッキリしている。嫌いな人は、嫌いだと態度に出てしまう。もちろん、好きな人には好きだと態度に出る、男女に関わりなく。
「そんな正直な俺でよければどうでしょうか?」というスタンスである。
「相手に嫌われるかも」とか、「相手の気持ちを考えなきゃ」って言っても、無理だろう。
・私は、あなたじゃないから、あなたの気持ちがわかるはずはない。
・あなたも、私の気持ちはわからないでしょう?
だから、せめて、私は、正直に生きる。「あなたが好きだから、会いたい」と言う。それで、私の気持ちは伝わるはずだ。
私は、あなたの気持ちがわからない。あなたも、私の気持ちがわからない。でも、私はいつも正直に私の気持ちを表現するよ。だから、あなたとの気持ちが合えば、一緒に遊ぼう。あなたが私のことを、嫌いじゃないか、好きならば、会おう。
どちらかが、正直ならば、そこに相手の気持ちを推し量る必要もない。
別に俺のことが嫌いなら、会わなきゃいいだけで、俺も、それくらいはわかる。俺は、相手の気持ちを考えないけど、相手が自分を嫌だってことくらいはわかる。じゃあね、バイバイ。人間関係は排他される。
だから、私はわからない。誰かに嫌われたくないって感情が。
万人に好かれる人なんていない。だから、必ず、誰から嫌われる。
そんな、誰かを相手にするより、自分を好きになってくれる人と過ごす方がよっぽど建設的だ。
だから、私は、嫌われるかもと考えないし、嫌われることを恐れないし、嫌われてもいいと思う。
その分、好きな人のことは、とても、大切にする。だからといって、好きな人の気持ちを考えたりもしない。
私は、私に、正直であることだけだ。
仲が良くても、「お前のここが嫌い」と言う。
仲が良くても、つまらなくなったら、誘わない。
仲が良かったけど、ムカついたら、会わない。
私は正直であるけど、周りは自己中と言うかもしれない。
でも、私は、私で、正直に生きることしかできない。
そうか、私は、自己中に見られているんだ、なるほど。
周りの目ばかりを気にして生き過ぎじゃない?
誰かって?
他人って?
みんなって?
社会って?
私は、私に嘘を付く生き方はしたくないので、好き嫌いをハッキリするし、相手の気持ちは考えないから、正直でいられる。
相手の気持ちを考えないとこで初めて、正直足り得る。
本当の正直者は、他人の気持ちを考えない俺のような人で、世間からは自己中と言われる人だ。
二面性、同じ現象でも、右から見るか、左から見るかで、その印象は異なる。
長所は短所だし、短所は長所、言い方、見方の違い。
すべての長所は、すべての短所足り得る。
他人の気持ちを考えられないからこそ、正直足り得る。





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