可能性で呑める
2022/3/9
行き先がわからず、集合したら、バスに乗せられ、飛行機に乗せられ、現地で別の友人も合流する。
旅とは、どこへ行くかではなく、誰と行くかでもなく、
わからないことが、いつ、どこで、何が起こるか、
わからない未知である。
その未知だけで楽しむことができるのだ。
なんだったら、その未知を想像しながら、酒だって呑める。可能性で呑める。
私たちは、毎日、わかっている。
だいたいわかっている。
想像している。
毎日を想像して、ほとんど、想像の中の毎日と同じような毎日を過ごしている。
私たちは、想像したから、進化した。
目の前の景色のほとんどは、私たちの想像の産物である。ビルも、車も、飛行機も、そして、スマホだって。
「 一人一台電話を持つよ 」って言われても、理解できなかった。
20年前に
「 電話で写真を撮って、テレビを見れるようになるよ 」って言われても、理解できなかった。
10年前に
「 テレビに出れなくても、芸能人に有名人になれるよ 」って言われても、理解できなかった。
世界は、変えられる。
世界は、人間が変えてきたのだ。
人間の想像によって、世界が変わってきた。
猫も犬も猿も、人間以外の生物は、想像できない。
だから、変わらない、世界を変えられない。
私たち人間だけが、世界を変えることができる。
私たちは、想像で生きている。
想像しながら、生きている。
でも、毎日は、想像の範囲内だ。
たまには、びっくりすることもあるけれど、想像の範囲内だ。
病気で倒れてないし、車に轢かれてないし、死んでない。生きている。私たちは、生きている。
- 「 明日死ぬかもしれない 」と思って生きている人はいない。
- 「 明日も、きっと生きている 」と思っているから、がんばれる。
- 「 明日もきっと、生きている 」と思うから、仕事をする。
明日、死ぬかもしれないのに、仕事へ行く人はいない。
- 私たちは「 明日生きている 」と想像している。
- 私たちは「 明日生きていない」と想像していない。
明日死ぬことは想像の範囲外だ。
明日死ぬ以外は想像の範囲内ということもできるのだ。
とは言え、私たちは、死ぬことなんて考えて生きていない。
生きていることすら、意識していない。毎日に忙殺され、毎日に溺れているだけだ。
だから、旅をする。
だから、結婚する。
だから、子どもをつくる。
私たちは、毎日が同じだと、想像の範囲内だけど、旅は非日常で、毎日とは違った非日常の中に、想像の範囲外を手にすることができる。
私たちは、毎日は一人だと、想像の範囲内だけど、自分以外の誰かと過ごす日常で、想像の範囲外を手にすることができる。
私たちは、生きていることへの想像の範囲外ではなく、毎日という日常での想像の範囲外を手にしたいのだ。だから、旅先や家族が必要なのだ。
私たちは、可能性で、想像する。
私たちは、可能性を、想像する。
私たちは、可能性を、想像するだけで、酒を呑むことができる。
私たちは、可能性で、呑める。
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