早起きはなぜ三文の徳なのか?

湯浅

早起きはなぜ三文の徳なのか?

2021/11/21

「損したくない」と思って生きている。

私たちは、ポジティブなことよりも、ネガティブなことに対して強く反応する性質がある。

ネガティブなことに反応しやすい個体の方が、進化論的に、生き残りやすかったからだ。

道徳的な観点は、考えないとして
1,000円拾ったときよりも、1,000円落としたときの方が、感情の振れ幅は大きい。
極端な話し、1,000円落としたときのガッカリ感は、10,000円拾ったときのワーイ感くらいの感情に等しいかもしれない、ということだ。

現代においては、日本においては、よっぽどのことがないと、若いうちに、餓死したり、病死したりすることはない。死は、遠い存在だ。だから、本能として備わっている、ネガティブに反応する性質は、現代では不必要になった。それでも、遺伝子に組み込まれた性質なので、急に変化はしていかない。

現代の成功者は、すべからく、ポジティブ思考である。本来であれば、ネガティブ思考の人たちが淘汰されていき、ポジティブ思考の人たちが繁栄していくのが、進化論的発想である。しかし、現代は、淘汰されない時代だ。成功者じゃない、ネガティブ思考の人々でも、生きて、子孫を残し繁栄していくことができる。

「損したくない」と思って生きている。
「効率的に、合理的に、生きたい」と思っている。

損したくないは、損するというネガティブな要素を打ち消した強引なポジティブ思考である。

損したくないから、睡眠は最低限にしたい。睡眠は身体を維持するための機能に過ぎない。だから、最小限でいい。

私たちは、普段、無意識に息を吸って、吐いて生きている。息をしているのを意識するのは、水泳とか海とか川とか、水の中に入った時くらいだ。例えば「人間が1日に3時間まとめて呼吸をしなければならない機能だった」としたら、それに従うしか生きる術はない。でも「その3時間は、無駄だな」と思う。できれば「2時間半とか。2時間にならないかな」と思う。

そういった感覚で、睡眠を捉えている。

人生の楽しみ方の最適化は、人生の時間の最大化である。

それは長生きを指さない。身体が衰えて、病院通いが習慣化してから、好きなことができるようになっても、できることは制限される。健康に動ける身体があってこそ、時間を有意義に使うことができる。

だから、人生の時間の最適化は、人生で1番若くて健康な今、今日の時間の最大化にある。早起きである。寝過ぎないことだ。昼近くまでベッドで過ごさないことだ。昼過ぎまで寝てしまうと、1日の大半を失ったことになる。

確かに、冬には、布団の中は暖かく、起きると寒いので、起きない方が「心地よい」と感じるかもしれない。人間は、不快を避け、快を求める性質がある、それは、OSのようなソフトウェアの本能だ。睡眠のようなハードウェアとしての機能ではない。機能でなければ、プログラミングによって、変更できる。意識的に、不快の中を突き進むことができる。

湯浅的思考による科学的な早起きは三文の徳の説明である。

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