仙台という街 〜 俺が仙台を好きになったワケ

東北旅13

言葉は、生き物である。
言葉は、人を殺しもする、人を生かしもする。だから、言葉は、生き物である。殺人ができるのは、自殺に追い込めるのは、言葉が生きているからだ。逆に、言葉によって、たったひとつの言葉で、生きる希望となることもある。

2021/8/11

たくさんの街を見てきた。

世界中の街

肌に合う街、肌に合わない街、訪れた瞬間に、街への第一歩に感じる街の空気がある。

仙台は、住める街だ。
いい街だ。

人が柔らかい。
優しいじゃない、柔らかいのだ。
丸くて尖ってない感じだ。

人が柔らかい。

日本酒を頼んでら、チェイサーを持ってきて、和らぎ水と言って出してくれる。和らぎ水という言葉を、初めて知った。何だか、仙台っぽいなとおもった。

調べたら、一般的な用語で、日本酒のチェイサーを「和らぎ水」というようだ。普段、日本酒呑まないから、知らなかった。でも、和らぎ水は、いい。言葉がいい。

酒というドラックに対して、正反対の言葉として適している。酒という悪に対して、善の響きが「和らぎ水」にはある。

人が柔らかい。

市場で、魚を買おうとした。東京まで帰るから、発泡スチロールに氷を入れて持って行けるか聞いてみる。すると、今日の魚は、いい魚じゃないという。昨日の魚だから、鮮度が良くないという。だから「やめろ」と言われる。

商売人に、商品を勧められるのではなく、商品を買うことやめるように勧められた。いやいや、待て待てと。俺は、どうせ、東京に帰るんだから、売ってしまえば、それで終わりじゃないか。「なぜ、買わないことを勧めるのか」と聞く。せっかく、仙台に来たのに、自分が自信を持てない魚を勧めて、「仙台ってこんなもんか」と思われたくない、だって。

魚屋さんの商品は、魚じゃなかった。魚屋さんは仙台を売っていた。魚じゃなくて、仙台の魚を売っていた。仙台という地元の名前を付ける以上は、そこに自分の価値がのる。仙台愛がのる。仙台愛という価値がのった商品が魚なのだ。

魚が昨日の鮮度でも、煮付けにしてしまえば、大丈夫じゃないか?という提案をしても、いや、やめといた方がいいと言う。

マジか!

商売人にある前に、仙台人だった。
仕事人である前に、仙台人だった。
自分の価値観で、仕事をしている誇り高き商売人である。

買うのを諦めた。

そして、いつかまた、仙台を訪れたときに、オススメされた魚を、全部、買おうと思った。

商売人は、目の前の利益を捨てて、見えない商品を俺に渡した。

信用という商品を渡した。

目に見えない商品である、しかし、とても価値のある商品だ。

商売人は、商品を売るのではなく、自分を売る、自分の価値を売る、自分の信用を売る。

仙台の商売人は、商売人に足る前に仙台人だった。

仙台は、いい街だ。

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