「旅を終わらせる」ということ

「旅を終わらせる」ということ

2021/12/14

人生も旅も終わりがあるから楽しめる。
仕事があるから休みが楽しめる。
モノゴトはいつも、表裏一体である。

人生に終わりがないとしたら、私たちは、いつまでも、ずっと、生の心配をしなけれはならない。生きるためのお金の心配をしなければならない。明日の心配、5年後、10年後、50年後、100年後の、1000年後の未来の心配をしなければならない。

いや、無理だろ、1000年後のお金の心配なんて。

だから、死ぬことは、人生が有限であることは、素晴らしいことなのだ。終わりがあるから、生を楽しもうとする。死があるから、死について考えるように、永遠の生があれば、永遠の生を考える。永遠の生を、永遠に考え続ける。

  • 仏教の到達点は、永遠の死だ。
    成仏して、生から離脱して、無になる。
  • キリスト教の到達点は、永遠の生だ。
    最後の審判で無罪となり、楽園で生き続ける。
生と、死。
有限と、永遠。
人生という旅には終わりがある。

人生には必ず「終わり」がプログラムされている。

だから、生を楽しむ。

衣食住が満たされた永遠の中では「何をしたらいいか?」を見失う。永遠である限りは、生はあり続ける。同じことの繰り返しである。

旅は終わりがある。
モノゴトには、終わりがある。
終わりがあるから、旅を楽しめる。
  • 同じゲームを365日24時間やり続けることは楽しいのか?
  • ディズニーに365日行き続ける事は楽しいのか?

同じことの繰り返しは、マンネリを生む。ずっと楽しみ続ける事はできない。

日常と非日常がある。日常があるから、非日常な旅を楽しむことができる。世界は有限だけど、世界のすべてを旅するには人生はあまりにも短い。だから、人の一生からすれば、世界は無限と言っても差し支えない。

「無限に旅したい」とおもっている。
「死ぬまで旅したい」とおもっている。
「旅に飽きることがあるのか知りたい」とおもっている。
「旅の終わりを探したい」とおもっている。
旅を終わらせることができて、初めて旅を過去にできる。

旅とは、休みの最中である。
休んでいることは、旅の途中である。

私は旅の中にいる。
旅は「終わった」とおもっていた。
旅は終わっていない。
旅は継続中である。

旅を終わらせなければならない。

休みがある、仕事があるから休みがある。
仕事がなければ休みはない、毎日が休みならば、休みという概念は存在しない。
休みが日常である。
休みのためには、仕事が必要である。
休みを楽しむためには、仕事が必要である。
仕事によって日常を作ることなしに、休みを定義できない。

仕事を始めるためには、旅を終わらせなければならない。

旅を終わらせることでしか、仕事を始められない。

旅を終わらせる。

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