羨ましいという感情

社会

羨ましいという感情

2021/11/1

  • 私たちは、他人と比較することで自己認識をする。
  • 私たちは、他人を評価する。

見た目・年齢・学歴・職業・会社・年収といった、カテゴリによってラベルを貼り、ランクを付ける。そうやって、自分が「他人に対して、どんな立ち位置にいるのか」を判断する。

そして、他人より、自分が上であることを確認するために、モノを浪費していく。
高級車、ブランドの服、バッグ、アクセサリー

  • 他人を評価して、自分の立ち位置を確認して、私たちは、「羨ましい」と思う。
  • 自分が持ってないから、「羨ましい」と思う。
  • 自分が持ってないモノを、「羨ましい」と思う。

それは、お金だし、家庭だし、子どもだし、フォロワーかもしれない。

「羨ましい」という感情は、社会の中で生まれるモノだ。

人類史の共同生活の中では、すべては共同体の共有物だった、ムラ社会である。お金はまだない、家庭も単独じゃなくみんなで生活する、みんなで子どもを育てる。フォロワーは全然ない。そこでは、「羨ましい」という感情が生まれる道理がない。

共同体から個人へと社会が変化していき、その過程で、個人の所有の概念が生まれていった。他人と自分を比較して、他人と自分の所有物を比較して、「他人が自分より優っている、羨ましい」と考えるようになった。

生きる上で、必要なかった「羨ましい」という感情が、私たちの文化の中に、染み込んでいるのは、資本主義によるモノだ。

「他人を羨ましい」と思う感情は、消費を引き出す。
消費が資本主義の根本である。
私たちの日常の何気ない様々な感情は、生きるために本質的に必要なモノではなく、社会や文化に作られたモノかもしれない。

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