情報主義という時代
2022/4/4
言葉
言葉なくして、人間は人間足り得なかった。
人間と、動物を区分するのは、言葉である。
言葉を生み出し、他者と交流し、協力することで、人間は発展してきた。
言葉なしに、人間は、万物の霊長となることはなかった。
私たちは、生まれた時、言葉を知らない。
赤ちゃんは、本能的に、母乳を飲み、排泄をすることはできる。
しかし、それでは、動物と変わらない。
赤ちゃんは、言葉を覚えていく。
- 言葉を覚えていくことで、自己を表現する術を得る。
- 言葉を覚えていくことで、自己と別の存在である他者を区別する。
- 言葉を覚えていくことで、自己とは他者と交流する。
そうやって、言葉を覚えていくことで、赤ちゃんは、動物から人間へとなっていく。
人は一人で生きてはいけない、家族や仲間が必要だ。
誰かと協力するために言葉がある。
情報化社会
そして、今、私たちを取り巻く世界は、情報化社会である。
全てのものが、情報となった。
画像や動画は情報である。
そして、それらの全てを司るのは、言葉である。
言葉がなくては、数字はただの数の羅列に過ぎない。
画像も、動画も、言葉なくしては、その状況を明確に説明することはできない。
情報主義
情報化社会は、正確には情報主義である。
人々の平等を前提にしたシステムが、共産主義
人々のお金を前提にしたシステムが、資本主義
人々の情報を前提にしたシステムが、情報主義
自由を前提にしているので、病院や福祉の全額負担による格差は仕方ない
・共産主義
平等を前提にしているので、格差は生じない = 頑張っても意味がない、努力が意味がない
・資本主義
お金を前提にしているので、お金による貧富の格差は仕方ない
・情報主義
情報を前提にしているので、情報による、知っているか知らないかの格差は仕方がない
すべての主義は、何かしらを前提とするので、短所となる批判も併せ持つ。
情報主義は、すべての情報は開示されているのだから、知らない人が悪い。
どんな情報でも、アクセスできる。
これまでは、知らなかったで済まされたことが、知らなかったでは済まされない。
知らないことは、すべて、自己責任なのだ。
社会のこと、働くこと、税金のこと、お金のこと、すべてが自己責任となる。
情報主義とは、情報が自由化されたことによって、自由の刑に処せられるということだ。
情報は開示されているのだから、情報を知らなかった人の自己責任である。どんな情報を得るかは自分次第である。そして、私たちは、情報によって行動する。
- テレビや新聞やニュースなどのマスメディアという情報を得て行動するというのは、旧世代の行動になりつつある。
- 本当に自分に必要な情報を集めて、自分の意思で行動することが新世代のスタンダードである。
一家に一台テレビがあって、家族全員で同じ番組を見て、同じ情報を信じていた時代は永遠に返ってこない。
すべての情報は、個人に委ねられている。
親も、子どもが得る情報を管理できない。
- どんな自分になりたいかは、情報次第なのだ。
- どんな情報を得るかは、自分次第なのだ。
- 自分が得た情報によって行動した全責任は、自分にある。
・仕事がつらいのは、自己責任、自分の選んだ情報が悪い。
・人生がつまらないのは、自己責任、自分の選んだ情報が悪い。
・恋人がいないのは、自己責任、自分の選んだ情報が悪い。
・結婚できないのは、自己責任、自分の選んだ情報が悪い。
・不幸なのは、自己責任、自分の選んだ情報が悪い。
どんな情報を選ぶのは自由だけど、何があっても自己責任なのだ。
情報主義という新時代の幕はとっくに開かれている。

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