逃走という選択肢
2022/4/13
ルール
私たちは、「 逃げる 」という言葉をネガティブに捉えている。
「 逃げることは悪いことだ 」としつけられてきたからだ。
「 逃げることは悪いことだ 」としつけられてきたからだ。
しかし「 逃げる 」ということは、選択肢のひとつである。
しつけを律儀に守り続けた人が、自分を死に追いやる。
しかし、ルールとは、あるひとつの枠組みにすぎないのだから、大勢に適用できても、万人に共通するものではない。枠組みの外、ルールには例外も存在する。
「 ルールは万能ではない。万人をひとつの枠で囲い込むことはできない。」
障害者
障害者は人だろうか?
障害者も人であるというのは、世間の常識だろう。
厚生省のポスターには、
「 最低賃金とは、働くすべての人に、賃金の最低額を保障する制度です 」
と明確に記載がある。
「 最低賃金とは、働くすべての人に、賃金の最低額を保障する制度です 」
と明確に記載がある。
- 障害者の賃金には、最低賃金が適用されない。
つまり、障害者は最低賃金以下の賃金で働いている、人なのに。 - 障害者の賃金は、工賃と表現される。
「 工賃は、最低賃金以下でも、問題ない 」というルールだ。 - 障害者は人だけど、最低賃金という枠組みの外にいる存在である。
厚生省という国家権力が、例外措置を適用している。
「 ルールは万能ではない。万人をひとつの枠で囲い込むことはできない。」

最低時給が存在しない世界1 〜 時給200円未満の日本社会
健常者が、「障害者も社会参加が必要だ」と考えて、仕事をさせているのかもしれない。それは「仕事をすることは、社会の一員である」という価値観である。
ルールの外側
私たちは「 ルールを守ることは正しい 」と教育されていて、ルールの外枠のことを知らない。
枠組みの外側を知ることで、初めて、ルールを客観視できるのだ。
- 長崎にいても長崎のことしかわからない。
上京して初めて長崎弁を知るのだ、自分の育った文化が万能でないことを知るのだ。 - 日本にいても日本のことしかわからない。
海外旅行に行って、初めて自分が日本人であること、水道水は飲めないことを知るのだ。 - ルールの外側を知ることで、初めてルールを客観視できる。
日本語が通じないこと、10年勉強したのに全然英語を話せないことを知るのだ。
日本は「 水道水が飲める安全な国だ 」ということを知るのだ。
長崎の中じゃ、日本の中じゃ、ルールの中じゃ、わからない。
「 井の中の蛙大海を知らず 」
井戸の中にいたら、大海のことがわからないのは、しょうがない。
「 ルールを守ることは正しい 」としても、
「 ルールの外側の ” 存在があること ” を知る 」ことが本来あるべき姿勢なのだ。
「 ルールの外側の ” 世界 ” を知る 」ことが本来あるべき姿勢なのだ。
「 ルールの外側の ” 存在があること ” を知る 」ことが本来あるべき姿勢なのだ。
「 ルールの外側の ” 世界 ” を知る 」ことが本来あるべき姿勢なのだ。
そうやって初めて、
「 ルールには枠組みがあって、それは万人に適用されるものではないから、その枠組みが自分に適していないと思ったら、その枠組みから、外にはみ出していい。ルールの外に逃げ出していい。」
という思考が育まれる。
自分を死まで追いやることがなくなる。
ルールの外の存在を知らなければ、ルールの中でもがいて、苦しんで、自分を追い詰めることしかできない。
「 ルールの外に逃げる 」ということは、選択肢のひとつである。
私たちは、逃げることを悪と学んだ。
それは、大きな力の影響である。
「 逃避という選択肢 」という知恵は、私たちを自由にする。
世界は、言葉の解釈で、できている。

【本要約】自由からの逃走
自発的活動によって、人生の意味は生きる行為そのものであることを理解し、自由を獲得することができる。
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