見栄の本質

湯浅

見栄の本質

2021/4/11

SUV車を見てイイなーと思う。
ハーレーを見てカッコいいなーと思う。

アメ車のSUVに乗って、ハーレーに乗って、そんな時代もあった。

デカイ車や、デカイバイクが好きだ。

見た目がカッコよく感じるからだ。

でも、実際に乗ってみると、デカイ車もデカイバイクも、扱いづらい、乗りづらい。

当たり前といえば、当たり前ではあるが。

「何で、あんなにデカイ車やバイクに乗っていたんだろうか?」とおもっていたら、ふと、降りてきた。

あぁ、そうなんだ。

車やバイクの大きさが表しているのは、自分が見られたいサイズである。

自分が、他人に見られたいサイズが、車やバイクのサイズだったんだと気付く。

自分を大きく見せたかったんだ。

実際の自分のサイズではなく、自分が他人に見られたいサイズである。

なるほど、それを見栄という。

見栄は、扱いが難しいし、コントロールはできない。

見栄とは際限がないから、扱いが難しい。

見栄とは、他人の目である。正確には、自分の中に持つ、他人の目である。

自分の中に持つものなので、コントロールできそうな気がする。でも、実際には、できない。他人の目は、自分の中に持ってはいるけれど、実際の思考では、自分の外にあるモノだからだ。

見栄が必要ないわけではない。でも、見栄を張り過ぎるとお金を失うことは、わかる。

お金持ちになりたいのなら、見栄は捨てて、資産を、有価証券を買うことだ。

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